おはなし を学びはじめた時に、言われたことは、おはなし は、暗唱ではなく演じることでもないということでした。
やるべきことは、イメージを固めて、それにテキストの言葉つけることだと教えてもらいました。
そしてテキストの言葉がどれほど語るに向いていて、正確に語ることが重要で物語を活かす事だと教えられました。
それを当時の私は、声色を使わず、テキスト通りに間違えずに語ることが、おはなしだと思い込みました。
ですから教えてもらった通りにやっているつもりでした。
今思えば、当時の私は語る事に精一杯で、物語にも、聞いてくれている子どもたちも眼中になかったのだと思います。聞いている子どもたちの目を見ながら語るよう指導されているので視線は合わせていましたが・・・
30年の時が過ぎ、今ようやく先生がおっしゃっていたことが、自分の中で消化され、血肉となり、自分の勘違いに気がつきました。
パズルの最後のピースがはまるように、実感としてはある日突然閃いた感じでした。私は教えられた言葉の真の意味がわかっていなかったのです。
イメージを作る事、テキストの言葉のセンス、物語を聞いて受け取るという事、長い時を経て伝承されてきた物の底力は素晴らしいと心底思います。
こんなものだと見切らずに考え続け、語り続けてこなければ、気がつかなかったのです。また未熟な私の語りに付き合ってくれた、たくさんの子どもたちに感謝したいと思います。
効率的でないからこそ見える世界があります。きっとこれがゴールではなく、次の扉があく日が来るのだろうと思います。でもやることは変わらないのだろうと思います。言葉と向き合って物語を紡いていくことをやっていくしかないとわかるようになったからです。