絵本

絵本 · 2022/01/09
 図書館へ行ったらいつも新刊の棚を見ることにしています。公共図書館の場合、分類されて書架に並ぶと目当ての本は見つけられますが、新しい本を棚から探すのは難しいからです。先日いつものように新刊の棚から見つけた絵本に今までにない感想を持ちました。  気になったのは『きょうも のはらで』エズラ・ジャック・キーツ/え 石津 ちひろ/訳 好学社...
絵本 · 2021/12/13
 読み聞かせはお互いに聞き合うことが基本で、子どもと同じように絵だけに集中して文章を聞き、物語を受け取る経験がとても重要です。どう聞こえるのかを知っていることで聞き手が物語を受け取りやすく読むことできるからです。...
絵本 · 2021/12/10
 昨日 保育園で出張おはなしの会がありました。コロナ禍でなかなか計画通りには行うことができず今年度2回目にして最終回というおはなしの会でした。私は2歳児のクラスに入ったのですが、1クラス4名のうち3名が女の子というクラスでした。子どもたちは三語文で表現することができるようになったことが楽しくて仕方がない様子で絵を見ては自分で言葉をつける子が出たりして微笑ましく思いながら絵本を読みました。そして集団で過ごしているので周りの子がつられて積極的に言葉にしようとする感じがあって興味深かったです。今まで、聞いた言葉を復唱する姿はよく目にしていたのですが、今回のパターンは初めて目にしました。言葉が育つ様子に立ち会った感じで絵本の役割の新しい一面を見せてもらいました。自分で読めるようになる時もそうですが、喋れるようになることは子どもにとってとても嬉しいことなのだと伝わってきます。楽しそうに言葉にする姿は言葉の重要性を私たちに教えてくれます。強制されるのではなく自発的に話したくて仕方がない、言葉を使いたいというこの時期にたっぷりやりとりできることも言葉の習熟の土台なのだろうと思います。本来子どもの学びはこういった楽しさに満ちたもので遊びと学びが同義だと言われる所以なのだと思いました。  おはなしざしきわらしの会では3歳以下の子どもたちには赤ちゃん絵本が適していると考えています。赤ちゃん絵本は最初から順にページを追っても追わなくても楽しめる作りであること、書かれている言葉が、出来事を伝えるのにわざと言葉を減らして読み手が言葉を足すように作られていることが特徴だと捉えています。ですから聞き手の子どもたちの反応を拾いながら言葉を足していく読み方をするのですが、今回のように言葉が溢れてきている感じの子どもたちだったら絵だけ見せて子どもたちが文章をつけてから読んでいくのもおもしろいと思いました。「そういう風にも見えるよね おもしろいね」という肯定の言葉と共に「ここにはこう書いてあるよ」と読んでいくという読み方もあると子どもたちに教えてもらいました。こうやってぴったりの読み方を探していくのも文章が足りない赤ちゃん絵本の楽しみ方だと思います。ただ赤ちゃん絵本は聞き手次第なので次に同じ状況の子どもに出会う保証がないのが難点ですが、引き出しが多いことはいいことだと思っています。
絵本 · 2021/12/03
 読み聞かせについて説明していると、どうも噛み合わないと思うことがあります。その理由を考えてみると子どもの聞き方についての解釈の違いにあるような気がします。おはなしざしきわらしの会ではストーリーテリングを主軸にしていることもあり、聞き手の反応が大きいことを重要視していません。子どもたちの目を見て語っていると子どもたちが声を出したり笑ったりしなくても、どう聞いているのかを感じることができ、読み聞かせの時もその応用で子どもたちの集中の度合いを感じ取っているからです。けれど絵本の読み聞かせだけしていると子どもたちの表情を見ることができないので、子どもたちが声を上げたことや笑い声を立ててくれることがよく聞いていることの目安になっているのではないかと感じています。ストーリーテリングと絵本の読み聞かせを両方しているから感じ取れる子どもたちの集中度合いも、絵本だけ読んでいると感じ取るのは難しいのかもしれないのだと思います。  止まることなくさらさらと進む物語を聞いて受け取るには意外と集中力が必要です。そして自分が笑ったり喋ったりと発信する側に回った途端、物語を聞き落とす危険にさらされます。聞き落とすと物語の進行についていけず内容が分からなくなることがあるので聞き慣れた子ほど物語を受け取ることに集中します。  おとなは物語を渡せたかどうかを判断する時に子どもが内容をどう受け取ったかに注目しがちです。そして子どもの発言を子どもがどう受け取ったのかの手がかりにしようとします。けれど合いの手やコメントを挟む聞き方は物語を受け取ることよりも自分の発言を考えることの方に比重がかかっています。また部分的に引っかかるところがあって声を上げずにいられない聞き方は物語の展開を追うことより疑問の解決が優先されています。これらはよく聞いているから起こることではなく、どちらも物語の中に留まらずに途中で現実へ戻ってきているために起こる反応だと考えています。読書をしている時には内容について途中で思いを巡らすことは珍しくありません。物語の途中で自分だったらどうするだろうと考えたり相手はどう思ったのだろうと視点を変えたりと考え込むことも含めて読書です。これが成り立っているのは自分で読書する時の物語の進行は自分の意思でコントロールできるためです。読み聞かせは自分が止まって考えたい時に止まれないので途中で考え込むことは物語から出てしまうことにつながります。集団の読み聞かせが特殊なのはこの止まれないことです。ですから読み聞かせを聞いてからその本を自分で読んだりするのは自分のペースで物語と向き合うことで歓迎すべきことなのだと思います。聞いて受け取れるものと自分で読んで受け取れるものは同一とは限らないのだと思います。
絵本 · 2021/12/01
 私たちのおはなしの会ではあまり季節の行事をテーマにした絵本を取り上げません。図書館のおはなしの会は月1回ですし、聞きにきてくれる子どもたちも毎回同じメンバーではありません。聞き手の好みなどを反映することができるような距離感ではなく、物語を物語として渡す私たちのおはなしの会では率先して行事を扱った絵本を入れる必要を感じないからです。...
絵本 · 2021/11/26
 私たちは、読み聞かせを聞いている子どもたちが絵と文章を同時に楽しんでいると捉えています。そのため読み聞かせをしようとする絵本の文章は聞いて理解できることが大事だと考えています。最近勉強会でこの聞いて理解できることと読んで理解できることの違いを期せずして目の当たりにする機会がありました。私たちの勉強会はグループに分かれていてその中の一つのグループが東京子ども図書館の『絵本の庭へ(児童図書館基本蔵書目録1)』に載っている絵本の中から順番に絵本を選んで読み合っています。そこで取り上げられた『こうさぎたちのクリスマス』エイドリアン・アダムズ/ 作・絵がおもしろい体験をさせてくれました。  勉強会で読まれたのは『こうさぎたちのクリスマス』エイドリアン・アダムズ/ 作・絵 三原 泉/訳 徳間書店でした。『絵本の庭へ』に取り上げられていたのは乾 侑美子 訳の 佑学社版なのですが、まさか2種類あるとは思わずタイトルと作者で検索をかけ意図せずに徳間書店版がヒットし何の疑問も持たずに勉強会で読まれたのです。聞いた感じは何となくモヤッとしていてすっきり物語が受け取れないという印象でした。最初は絵が十分見えないために受け取れないのかもしれないと考えたのですがどうもスッキリしません。この物語はうさぎの村の話で登場人物は全てうさぎです。主人公はお父さんお母さんがイースターエッグの絵付け職人の息子オーソン。オーソンは絵付けの勉強中ですが実際絵付けの作業も行っている少年です。このオーソンを慕っているこうさぎたちが自分たちでクリスマスパーティーを開いておとなたちを呼びたいからオーソンに協力してくれと頼んでくるのですが、この少年うさぎとこうさぎの違いを遠目で見分けることが難しいことが問題なのかと思ったのです。そして絵は美しく説得力があり登場人物たちの言動は好ましいのでうまく受け取れないことがもどかしく落ち着きません。  ところが偶然佑学社版を持ってきた人がいて、表紙も中の絵の感じも違うけれどと見せてくれました。見ると訳者も出版社も違います。とりあえず読み聞かせでなく絵本のページを繰りながら比べてみました。すると佑学社版の方で読むと内容がスッキリ入ってくるのです。乾さんの訳の方が聞いて理解しやすいのです。そのため絵のどこをみたらいいのかがサッとわかり絵と文章を同時に楽しめるようになっています。対して三原さんの訳は読んでから絵をじっくり眺める楽しさがあり繊細な絵を堪能する挿絵的な楽しみ方に向いていると思います。絵本ですからどちらの楽しみ方が正解ということはありません。けれど三原訳は自分で読むことを、乾訳は読んでもらうことを視野に入れていると思います。訳者や出版社が読み手をどう捉えるかで仕上がりが変わってくるという興味深い例だと思います。
絵本 · 2021/11/23
 2020年6月、東京・立川駅北口にオープンした新街区「GREEN SPRINGS」に、美術館と子どもの遊び場を中心とする複合文化施設「PLAY!」があります。その中のPLAY!...
絵本 · 2021/11/22
 今まで、おはなしざしきわらしの会のメンバーにしか伝えていなかった物語を伝えるための絵本の読み聞かせについて講座で話しています。それこそおはなしざしきわらしの会の勉強会ではお念仏のようにいつもいつも言っていることなので伝えることに関しては問題がないのですが、その伝わりにくさに驚いています。...
絵本 · 2021/11/17
 お気に入りの本を持参して参加者がそれを紹介するという集まりを月1回のペースで10年ほどやっています。一応読書会という括りに入るかと思いますが、あまり気負わずに1ヶ月どんなふうに過ごしたかを「元気だった?」「うん元気だったよ」というやりとりの代わりに読んだ本の話をしている感じです。...
絵本 · 2021/11/16
 読み聞かせをするには読む絵本を選ばなければなりません。どの絵本を読むかは読み聞かせをしようとした時に悩ましい問題だと思います。選ぶことを難しくしているのは絵本を読んだ時にどう感じるかは一人一人違う点にあります。そして選ぶことからその人にとっての価値が生まれるので自分以外の人に選ぶこと自体が不遜だという考え方もあるくらいです。もちろんこれだけたくさんの絵本が出版されているのですから、どの絵本も誰かの一番であろうことを否定している訳ではありません。それでも子どもに絵本を渡そうとしたら子どもの反応だけを頼りに選ぶのは無理があります。加えて読み手である私たちも自分の好みから自由ではいられません。そのため親が代わりに選べば問題がないようにいわれることもあります。けれど子ども時代は好みすら含めて成長過程ですし親と好みが全て一致する訳でもありませんから、出会いの機会は必要だと考えています。自分以外の人が選んだ絵本を聞くことの意義はあると思います。  一方、それでは出会いだから自分が気に入っている絵本ならどれでもいいのかというとそれもまた極端だと感じています。絵本は非常に守備範囲が広いというか懐の深い表現媒体です。それは作家の表現したいことをどのようにも表すことができるということです。そして読み手を意識して作られることもあれば、読み手を意識せずに作られることもあります。そのため誰にこの絵本を渡すのかというのは読み手の判断に任されているとも言えます。  そこで読み聞かせをしようとする時には、この絵本は誰にどんな形で渡したらこの絵本の魅力が一番引き出せるだろうという視点が欠かせません。読み聞かせの主役は絵本だと考えているからです。集団に対して物語を丸ごと渡す読み聞かせに使う絵本は絵だけ見ながら止まらずに最後まで読んでもらって楽しめる絵本です。ここがクリアされていれば読み聞かせに使えます。結局読み聞かせに使えるかの判断をするためにはじっくり絵本と向き合う必要があります。絵読みをして文章を聞いて確かめるという手順をきちんと踏むのは自覚していなくても読み手がどこかしら好ましいと思う絵本だからだと思います。自分の好みを警戒しなくても大丈夫なのは、読み聞かせに使えるかというもう一つの基準があるからだと考えています。

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