おはなし の会

おはなし の会 · 2021/12/29
 年の瀬も押し迫って、じっくり本を読む感じではなくなっています。おとなになってよかったと思うのはやりたいことを自分で決められるので別に読みたかったらやるべきことを後回しにすることも可能ですが、さすがに落ち着いて読む気分にはならない時期です。そこでこんな時は落ち着いたら何を読もうか考えたりしています。どれにしようかと迷うこともおとなの読書の楽しみだと思います。けれどこれはおとなの感覚なのだと思います。たくさん読んできたからこそ生まれる感覚だと思うからです。  そしてこのおとなならではの読書の楽しみを子どもに当てはめてしまうことがあります。おとなはどれを読もうか迷うほど読む前から自分の好みの本を見分けているので子どもも自分の好みがわかっているような錯覚に陥ってしまいがちなのです。けれど子どもたちはおとなに比べて圧倒的に物語との出会いが少なく自分の好みを自覚するほど物語に親しんでいません。ですから読み聞かせで絵本を選ぶ際に子どもが喜びそうというところに特化していくと物語に親しんで欲しくて読んでいるはずが、知らず知らずに直接的な刺激を与える役になっていってしまうことがあります。子どもに求めるのはおもしろそうだと判断できることではなく、実際聞いてみておもしろかったという体験が重要なのだと思います。この聞いてみておもしろかったという体験の積み重ねが物語に対して自分の好みを自覚していく入り口です。  おはなしざしきわらしの会がなぜ読み聞かせをしているのか、なぜストーリーテリングをしているのかは、子どもたちに物語を物語として受け取ってもらい、物語の楽しみ方を体験的に知って欲しいと考えているからです。本は実際読んでみないと物語としてどうなのかを判断できないものです。読み聞かせやストーリーテリングをする私たちは読んで確かめたものしか子どもたちに渡していません。ですから子どもたちの顔色を伺うことなく物語として楽しめるものを読んだり、語ったりしていくことが大事だと考えています。私たちは物語の楽しさを知っています。これを活かして絵本を選びストーリーテリングをしていけるといいなあと思っています。
おはなし の会 · 2021/12/12
 昨日は上田図書館で「おはなしと本の会」がありました。感染警戒レベルが下がっているので赤ちゃんクラスのプログラムにわらべうたを取り入れることができ、久しぶりにわらべうたを楽しむ子どもたちの姿を見ることができました。...
おはなし の会 · 2021/10/10
 昨日は2ヶ月ぶりのおはなしと本の会でした。私たちは感染警戒レベルで図書館での行事の開催の可否が決まるというコロナ対応にようやく慣れつつあります。けれどおはなしの会をやる側がこの調子で聞きにきてくれる人はどうなのだろうと心配していました。おはなしと本の会を目的に図書館に来てくれる事を目指してきた私たちは定期的に会を開く事を大切にしてきました。来てくれる人が予定を立てやすいように、常連になってくださりやすいようにと考えてきたからです。けれどこの定期的にが守れない事態になっている今、聞きにきてくれる人がいないかもしれないと思ったのです。幸い聞き手がいないという事態は避けられましたが、本を借りにきた人が偶然その時間にいたので聞いていってくれたという感じでした。足を運ばないと出会えないものだと感じてもらうことに、より力を注ぐ必要が出てきたのだと思います。  それはおはなしと本の会に限らず、何となく集まってもらっていた行事のあり方が変わっていくのだろうと感じています。オンラインなどの集まらない形でも成り立つものは集まらない方向で定着するのではないかと予測しています。そんな中でおはなしと本の会は集まらないと成り立たないものだとすれば、やり方を工夫する必要があります。偶然昨日、メンバーが保管していたおはなしざしきわらしの会が1986年に1周年を迎えた時の写真を見ました。30年以上前の自分の姿は自分だと認識するのにちょっと時間がかかる位で複雑な気分になりましたが、何より驚いたのが聞き手の数の多さでした。あの当時おはなしの会というもの自体が目新しく上田市では上田図書館以外でやっていないことだったので集客力があったのだと思いました。子どもたちもお家の人も今ほど忙しくなく小学生をターゲットにしても成り立っていた当時を思い出しました。そして小学生にきて欲しくても大人も子どもも忙しくて日時を決めて図書館に足を運ぶことが難しくなるといった時代の変化に対して私たちは図書館でおはなしの会が成立する事を優先し対象年齢を下げる事で対応してきました。乳幼児期から月1回図書館へ行くことが習慣になれば小学生になってもきてくれるかもしれないという期待を込めての方向転換でした。そして聞いてくれる人数は多くありませんがストーリーテリングを聞く場を守ってきました。ですからコロナ禍に伴う変化にも対応できるだろうと漠然とした思いはあります。中止といったどうしようもないことが起こって気持ちが沈みがちでしたが、どう変わろうかと考えたらちょっとワクワクしてきました。渡したいものがあるのですから変化することも楽しんで行きましょう。
おはなし の会 · 2021/10/02
 読み聞かせもストーリーテリングも細々とですが長年続けてきました。習慣といってもいい位身体に馴染んだことなのですが、コロナ禍で状況によってはおはなしの会が中止になり今まで月によって回数が違ってもほぼ毎月していたことが毎月ではなくなっています。長期間中止になっているわけではないのでさほど影響はないと思っていましたが、意外と調子が狂うことに戸惑っています。中止が一回だけでなく突発的かつ変則的に起こることが堪えているのか原因が特定できているわけではありませんが理由のひとつは聞いてもらうことの不足だと考えています。  読み聞かせやストーリーテリングは聞いてもらうことで完成します。これは元々わかっていることで当然そのつもりで取り組んでいます。けれどこういった事態になって聞いてもらうことの重要性が自分で思っていたより高いのだと気がつきました。物語を渡すことを目的としているのですから渡す機会が減ることが読み手、語り手にとって影響があるとは思いましたが影響の大きさに驚いているといった感じでしょうか。私はこの状況下でも小学生にはストーリーテリングをする機会を持っていたにもかかわらず、保育園の未満児さんに読み聞かせをしたら息が合わずに今まで無意識でできていた物語の受け渡しに苦戦しました。。私たちは聞き手に支えられ無意識に聞き手の息遣いを感じバランスをとっているのだと自覚しました。そしてこの感覚は継続することで磨かれ保たれるのだと実感しました。  コロナ禍で対面で行うことが難しいこともありますが、おはなしざしきわらしの会のやり方での読み聞かせやストーリーテリングは対面以外は成立しないのだと確認した思いです。録音や画面越しでは渡せないものを渡しているのだと感じています。対面で行うことは私たちにとって譲れない方針なのだと思います。対面が叶わないなら読み聞かせ、ストーリーテリングはできないのだと納得しました。
おはなし の会 · 2021/09/30
 読み聞かせやストーリテリングが聞き手に物語を渡すことだとおはなしざしきわらしの会が迷いなく言えるようになったのは継続して活動しているからだと感じています。私たちは様々な年齢の様々な集団の子どもたちに物語を渡してきました。同じ絵本を読んでも聞き手の集団によって受け取り方が微妙に違うこと、そして聞き手の聞き方によって読み手の読み方も微妙に変化することを体感してきました。この積み重ねから行き着いたのが私たちは物語を渡しているのだという感覚です。多分この文章を読んでくださっている方は読み聞かせやストーリーテリングってそういうものではないのか、何を殊更取り上げているのだと感じる方もいらっしゃるでしょう。けれど私たちにとってこの目的をきちんと言葉にすることは簡単ではありませんでした。最初からなんとなくわかってはいたのかもしれませんが、行動に反映するほどわかってはいなかったからです。  「物語を渡す」という感覚が読み手の頭ではなく体に染み込んでくると聞いていて物語がくっきりとして受け取る側に負荷がかからなくなります。聞き手が頑張って聞かないと受け取れない語り方とリラックスして楽に聞ける語り方といったらいいでしょうか。または聞き手が物語を取りに行かなければならない語りと物語が聞き手の中に入ってくる語りといってもいいかもしれません。読み聞かせもストーリーテリングも流派といった感じの様々なやり方があり語り手の個性や好みの問題もあってこれが正解だという答えを示すことが難しいと感じてきました。それぞれのやり方に許容範囲があり重なっている部分があるのでそれぞれが良しとする内容で住み分けも簡単ではありません。けれどなんでもありでは進歩は望めないのでなんとか言葉にしようとしてきました。おはなしざしきわらしの会のメンバーは活動経験が長い人が多いのでこの足掻いていた期間を共有してきました。ただ改めて説明したことがなかったので今回文章にしてみました。私たちは迷いながら活動を続けてきたことを思い出すことで、ともすると長く続けてきたことでマンネリになりがちな気持ちをリセットできるかもしれません。
おはなし の会 · 2021/09/28
 私たちは保育園や小学校での出張おはなしの会をしています。私たちは基本的におはなしの会はイベントではなく日常のものだと考えています。そのため単発ではなく複数回セットで出張おはなしの会をお引き受けしています。それでも年間5回から10回程度のおはなしの会なので、同じ物語を繰り返しすることに遠慮がでます。せっかくなら違う物語を届けたいと、おとなの事情が混じるからです。  けれど最近の子どもたちの傾向として同じ物語を繰り返し楽しむという経験が減っているように思います。そのため子どもたちは同じ話を繰り返し楽しむことを知らないと感じています。タイトルを聞いて「知っている」とか「またぁ」という声が子どもたちから出ることは知っている物語をまた聞くことを歓迎している言葉だと教わりましたが、どうも様変わりしていると感じています。以前は子どもたちが家庭で絵本はそれこそ暗記するほど繰り返し繰り返し読んでもらって楽しむことは珍しいことではありませんでした。今は家庭で親が読み聞かせをしなくても子どもだけで楽しめる動画などの選択肢が増え絵本の読み聞かせに使われていた時間を侵食しています。繰り返し読む楽しみを知らない子が増えてきた要因はこういった環境の変化にあるのではないかと考えています。けれどこの繰り返しが実は物語を受け取る力を育てます。幼児期の絵本の読み聞かせで大事なのは同じ話を楽しむことであり、そういう経験も読み聞かせの役割のひとつと考えています。何度聞いてもおもしろいという体験が物語の楽しみ方を身につけ物語を見極める目を育て、ひいては自分で本を読む芽になっていくからです。  もちろんそれだけでなく、絵本は言葉を育て感性を育て読み手と共感し合うことで一体感を感じるなどの様々な効用が期待できます。絵本を楽しむ副産物として様々な効用が期待できるからこそ読み聞かせをする私たちは自分たちの目的をしっかり自覚する必要があると考えています。子どもたちを取り巻く環境が変化してきたことを考えると私たちは同じ物語を渡すことに遠慮はいらないのだと思います。同じ物語を繰り返し楽しむことは読書を楽しむ子どもたちになって欲しいという私たちの目的の達成に有効な手段だからです。
おはなし の会 · 2021/09/10
 以前に紹介した『イワンの馬鹿』トルストイ/著 ハンス・フィッシャー/絵 アノニマ・スタジオ を翻訳した小宮...
おはなし の会 · 2021/09/08
 おはなしの会をしていると、赤ちゃんから幼児、小学生の子どもたちと出会います。年齢差のある子どもたちと出会うことは子どもの育つ課程を感じることにもなっています。今は子育て経験があっても3人以上育てたという経験がある人は限られます。そのため子どもの年齢の差で育ちを感じるより、次々と対応に追われて前の時期を忘れていく形の子育て経験となることが多いと思うのでこの育つ過程を感じることは、私たちにとって大きな財産です。  おはなしの会での子どもたちの聞き方から人間がどう育っていくのかが垣間見えると感じています。お家の人のお膝で聞く赤ちゃん世代は好奇心の塊です。興味があれば集中しますが、興味がなければお付き合いで聞いたりはしません。そして他の子の反応に釣られることもありません。ただお家の人の反応を伺ったりすることはあります。迷った時に頼りになるのはお家の人だと赤ちゃんが感じているからでしょう。  そして幼児になり保育園、幼稚園での生活を経験していく世代は、集団のルールを少しづつ身につけている時期なのだと思います。集団生活で先生の指示に合わせること、そのための作法を伝授されてきているので、おはなしの会の間は口を閉じるといったルールに合わせようとします。思わず声を出してしまってもルールを思い出せば守ろうとします。集団にはルールがあり守ったほうが過ごしやすいことを知る時期ですが、おはなしの会だけやっている私たちは、赤ちゃん世代の遠慮のない素直な反応もいいなぁと思っていたりします。  小学生になると、おはなしの会でのお約束という単純な集団のルールは無理なく守れるようになります。集団生活が長くなり慣れてくることと、他の子どもたちの言動に以前より影響を受ける世代だからだと感じています。この世代になると自分と他の子どもを比べて相対的に捉えることに興味が出てくるように見受けられます。他の子ができることをできるようになりたいとか、他の子ができなくて困っていることを助けようという集団としての効用が始まるのもこの時期かと思います。幼児期に他の子の言動を注意したり世話を焼いたりしている子もいますが自分のためにしている感じで、集団のためにしている感覚が出てくるのは小学生からだと感じています。例えばおはなしの会で声を出したり動いたりして聞く環境を乱す子に幼児はうるさい子よりもうるさい声で注意しますが、小学生になると声に出さずに聞くことを守りながら聞く環境を整えようとします。うるさい隣の子を睨んだり突いたりして瞬時に黙らせる様子に語り手は励まされ、語り手になって良かったなぁと思ったりします。  こうやって子どもたちが育っていく様をみるにつけ、私たちは集団で暮らすようにできているのだと感じます。おはなしの会はひとりで聞くものではなく集団で聞いてこそのものかもしれないと感じています。
おはなし の会 · 2021/08/13
 私たちは「おはなしの会」をイベントではなく日常的なものとして捉えているので定期的に「おはなしの会」をする事が望ましいと考えています。日常的といっても自宅で家族に読んでもらう読み聞かせには程遠いですが、それでもある程度一定のリズムを作って「おはなしの会」をしたいと思っています。...
おはなし の会 · 2021/08/10
 おはなしざしきわらしの会は、元々大人数の聞き手を想定したおはなしの会をやろうと思ってはいないのだと感じています。特に制限を設けているわけではありませんが聞き手は20人以内のこじんまりとした集団を意識しているような気がします。ですから多すぎるよりは少ない方が語りやすいし伝えやすいと感じるのだと思います。読み聞かせでの絵が見えやすいという問題以外でもこの得意とする集団の大きさには、声の問題が絡んでいると考えています。  私たちの活動拠点は図書館での「おはなしと本の会」ですが、モデルにし影響を受けたのが家庭文庫でのおはなしの会です。私がふじい文庫の藤井先生の指導を受けていたこと、ストーリーテリングに関する考え方を東京子ども図書館の講演会や出版物から学んだことなどから、家庭文庫こそしていませんが、家庭文庫的な考え方をしていると思います。東京子ども図書館自体も4つの家庭文庫から始まっていますし、私たちの活動の根っこは家庭文庫にあると感じています。  家庭文庫でのおはなしの会の特徴として聞き手の聞く意欲の高さがあります。自分の意志でわざわざ文庫に通ってくる子どもたちが聞き手なのです。物語を聞きたいと思っているので聞き手も聞きやすさを望み協力してくれます。これは聞き手の経験値が物を言う部分もあるので一概に優劣をつける気はありませんが、物語だけで集中を呼び起こす事ができるのは、家庭文庫の強みだと考えています。そして私たちが子どもたちにできるだけ継続して聞いて欲しいと思う理由がここにあります。このような聞き手には、大きな声は必要ありません。一番後ろの子どもが聞こえている声というのは文庫の発想だと思います。語り手の自然な声は物語をそのままの姿で子どもに渡す事ができ、聞き手である子どもたちもまた自分で読んでいるかのように物語を受け取る事ができるのだと思います。声を張り上げるのではなく自然で静かな声で語られる物語は聞き手の中に染み込む感じがします。

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