言葉がはまるという言い方をしましたが、昔話は、同じタイトルで様々なテキストがあります。
理由としては、口承のものを活字にしてきた経緯と、活字化するにあたって再話者のセンスが反映されたことが影響していると思います。
例えば『グリム童話』は、初版が出版されたのち、物語を修正してなんと7回も出版し直しているのです。
耳で聞いて成り立つ世界と、活字で成り立つ世界では、同じ文字列で表そうとすると収まりが悪いことがあるため、再話者の言葉の感覚が試されます。
そして、こういった再話の過程の問題以外にも、もうふたつ同タイトルで違うテキストの存在理由があります。
ひとつは再話された地域によって、もしくは伝承者によって、同じタイトルでも内容が違う場合があることです。
もうひとつは、翻訳の問題です。『グリム童話』で言えば、ドイツ語から日本語に翻訳される際、翻訳者によって微妙なニュアンスの違いが生まれるだけでなく、タイトルから違う場合もあります。
このような状態から、ストーリーテリングに向くテキストを選ぶため、耳で聞くことを前提にした言葉で物語が綴られているかという視点が、自分のしゃべりに合うか、感覚に合うかというという視点に置き変わると、わかったつもりで、遠ざかっていくことになります。
言葉がはまる感覚というのは、聞くことを意識した言葉がきちんと使われ、物語が紡がれていてこその感覚なので、注意が必要です。