教室とストーリーテリング

 今まで、小学校の教室でストーリーテリングをするときは、床掃除をする時のように机を全部教室の後ろに下げて、何もない床にかたまって座ってもらう形で聞いてもらっていました。

 現在は、密集を避けるために、教室でのストーリーテリングは、普段授業をしている体勢のままで聞いてもらっているのですが、これが、なかなかいい感じで、驚いています。

 普段の授業の配置というのは、当たり前ですが、先生から子どもたちがよく見えるようになっていて、子どもたちも先生を見やすいのです。

 そして、その状態でいつも授業を受けているので、こちらがなんの工夫をしなくても子どもたちは自然と聞く態勢になっているのです。

 ただ、今までの態勢のように、一緒に聞くメリットは薄くなる印象を受けます。楽しい場面は楽しさが倍増する、手に汗握る場面では、思わず身を寄せ合うといった感じは生まれません。

 また特に物語に入り込んだ子の聞き方が、周りの子の聞き方に影響を与えるといった場面も期待できません。

 個人で聞いているに近い印象にはなっています。

 そしてこの影響しあう集団のメリットはパーソナルスペースの感覚の有無にも関係しているのだと、今回実際やってみて思います。

 学年が上がるにつれて、自分以外の人との距離感が確立していくので、集団で聞くことと、個人で聞くことの違いが薄くなるということだと思います。ソーシャルディスタンスを保つ必要がなくなったら、低学年くらいまでは、密集して聞く方が集団が生きると思います。

 そして、普段の授業の態勢でストーリーテリングをしていこうとするなら、注意しなければならないのは、視線を合わせるのが結構大変だということです。

 語り手の身長にもよりますが、視線を合わせるには、座ると低すぎ、立つと高すぎるということが起きる場合があります。ちょうど良い高さを決めて維持するための工夫が必要だと思います。