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他のジャンルも同じらしい

 昨日、音楽をやっている友人と話をした際、以前、ここに書いた絵本の読み聞かせと音楽や演劇との違いの話になりました。

 すると、驚いたことに、音楽も読み聞かせと一緒で、極めていくと音楽が生き生きと再現されて演奏者が透明になっていく感じなのだそうです。

 楽譜を読み込んで読み込んで、演奏という自分の身体、そして楽器を使って音楽にしているだけで、演奏者が音楽を使って自分をアピールする演奏は、音楽が生きないらしいです。

 また音楽を感じたいか、演奏者を感じたいかは、聞き手の求めるものによって違うので、一概にどちらがいいと比べるものではないらしいというのも絵本と一緒だと感じました。

 そう考えると比較に使った、この曲はこの演奏者のものがいいという言い方も、その音楽が一番はえる演奏をしているという意味で使っている人と、この演奏者が好きという意味で使っている人、両方が使っていそうなことに気がつきました。

 そして音楽もそうだから、多分演劇もそうじゃないかと、脚本に書いてある役を演じているけれど、自分をアピールするためだけに演じている訳じゃないと思うと言われて、短絡的に考えた自分が恥ずかしくなりました。

 音楽を聴いても、演劇を鑑賞しても、楽譜を見たり脚本を見たりしたくならないのは、私が音楽や演劇をやる側に立っていないからで、本気で向き合っている人はそうじゃないという想像が働かなかったなあと思います。

 現に友人は、心惹かれる音楽を聴いたら、楽譜が見たくなるそうです。

 創作された作品を、再現するには、作品を理解し、作品を尊重する姿勢が必要で、作品が主役だというのは、どのジャンルも一緒なのだと、改めて強く意識しました。

 元々書く事は苦手で、書く事から逃げていましたが、書いてみたからこそ、こんな気づきがもらえて、新しい扉が開いた気分です。