ストーリーテリングの魅力は、「テキストとなる昔話の力」と「同じ語りは二度できない」という点で成り立っているのではないかと思います。
昔話の力は比較的わかりやすいですが、この同じ語りは二度できないという感覚は、わかりにくい感覚で、自分で体得するのも、こうして説明するのも難しいと感じています。
とりあえず言えるのは、二度できないというのは、テキストを正確に覚えていないということではなく、言葉を正確に再現できたかどうかではないことです。
ストーリーテリングは、昔話を聞き手と語り手で支えあうことで存在しているのだと思います。
語り手は物語の道案内役ではありますが、語り手だけで成立しているわけではないのだと思います。語り手だけで成立するなら、直接、聞き手と対面して、生で語らなくても良い事になります。
録音や放送ではなく、なぜ生で語るのかといえば、聞き手がいないと完成しないものだからと思うのです。
語り手も生身の人間です。その日の体調や気分、何をよしとしているかまで語る物語の中に微妙に反映するのだと思います。ここが難しいのですが、意図的に反映させる、もしくは機械のように一切反映させないのは、語り手としてトレーニングが足りないという事になると思います。
そして生身の人間が生身の聞き手に語るという点が昔話を現代に蘇らせ、現代に通じる普遍性を伝える大きな力になるのではないかと感じています。
また聞き手も生身の人間が集まった集団です。お天気から人間関係まで様々な要素が絡み合って、いつも同じ状態でないのは想像しやすいと思います。
この生身の人間同士で成り立っていることが、同じ語りにならない理由だと思います。
言い方を変えれば、ストーリーテリングは保存できないとも言えるのではないかと思いますし、そこが醍醐味でもあるかと思います。