前回の保存できないは、同じ話をおはなし の会で5回語って完成させるという言い方と同じことだと感じています。子どもに間をもらってくるという言い方も同様に使われていると思います。そもそも聞き手の目を見て語るというルールも聞き手を意識から外さない仕掛けだとも思います。
このように、ストーリーテリングにとって聞き手の存在はとても重要です。けれど、慣れないと聞き手を感じることは難しいと思います。
目を見て語ることですら、物語が飛んでしまいそうで、怖くてできないという体験をどの語り手も一度はしているのではないかと思います。
どんなおはなしなんだろうという、好奇心に満ちた聞き手の目は、それで、それからと、語り手に物語の先を問いかけ促してくるものでもあります。
物語のイメージが盤石でないと、煽られて物語の世界が壊れることにつながります。
だからといって、聞き手を意識から外して、自分の物語だけに集中したら、ストーリーテリングではなくなります。
私たちは聞き手に添って自在に物語を渡すためにイメージを固め、暗唱でない語りを目指しているのだと思います。
そしてこの感じは、現場で語ることでしか、わからないものでもあります。だからこそ、ストーリーテリングの手ほどきを受ける時に、聞き手に関しては目を見て語るくらいの指導しかされないのだと思います。
あと録音して覚えるのは絶対ダメだというのも、聞き手を感じる部分を壊すからだと思います。
私のストーリーテリングの先生は、不完全なものを録音してそのまま覚えるのはよくないという言い方をされていました。
その時は、きちんとイメージとセットになっていない不完全なものという意味だと思っていましたが、今思えば、聞き手のいないところで語ったものは不完全という意味も含まれていたのだと思います。
聞き手の存在は、ストーリーテリングにとって、欠かせないものだと改めて思います。