昔話風

 美しい装丁に惹かれて新訳の『イワンの馬鹿』を読みました。

レフ・トルストイ/作 ハンス・フィッシャー/ 絵 小宮 由/訳 アノニマ・スタジオ/出版のものです。

 タイトルが記憶にあったので読んだことがあるつもりでしたが、想像を超えた内容でした。子ども時代に完訳ではないものを読んで読んだ気になっていたのか、似たようなタイトルのものをトルストイのイワンの馬鹿だと思い込んだのか、定かではないですが、驚きの内容でした。

 文学は、経験値で感じ方が変わることがあるので、子ども時代に読んだ本を、おとなになってから読むと、意外なメッセージが含まれていて驚くことがあります。

 例えば、C・S・ルイスのナルニア国のシリーズは、子ども時代に読んだ時には、心躍る冒険談でしたが、大人になって読み返した時に、キリスト教の価値観を強く感じて驚いたことがあります。子ども時代には一切感じなかったからです。

 けれど今回の『イワンの馬鹿』は、子ども時代にどの本で読んだのかがはっきりしていないので、子どもとおとなの感じ方の違いは、理由にならない気がします。

 あと、イワンの立ち位置が昔話でよくあるパターンであることも、私の読後感が落ち着かない理由だと感じています。

 三人兄弟で、上の二人は利口で抜け目なく、三人目は間が抜けているというのは昔話でよくあるパターンです。そして、悪魔が出てきて三人を滅ぼそうとするというのもよくある形です。昔話なら、三人目の馬鹿さまがその実直さで難問を切り抜けて幸せになるという形なのですが、『イワンの馬鹿』は後味がすっきりしないと感じました。

 読み終わって、一番に感じたのは、作者の気持ちでした。トルストイは武力やお金を憎んでいたのだなぁと思ったのです。物語の作りがイワンが幸せになるというより、武力やお金の方が大切だと説いた悪魔が徹底的に懲らしめられる場面で成り立っていたからだと思います。

 おとなの読み物としては、示唆に富んでいて、考えさせられる内容だと思います。けれど、子どもの読み物としては、アクが強いと感じました。

 昔話には、特定される作者がいません。はじめは憤りや嘆きといった感情が物語の中に含まれていたのかもしれませんが、何人もの語り手の中を通ることで、感情が削ぎ落とされ、個人のものから、万人向けになっていったのかもしれないと想像が膨らみました。

 そう考えると、『イワンの馬鹿』が昔話風だったために、昔話との違いが際立ち、作者の感情を生々しく伝えてくる感じがしたのだと思います。