なんで集うのか?

 ブログを始めて、今まで、あまり言葉で整理してこなかったことを、書いているせいか、またまた原点に立ち返った問いを思いついてしまいました。

 そもそも、ストーリーテリングは、どうして集う形でやっているんでしょう?

 まず思いつくのは、今まで何回か書いているように、語り手と聞き手で作り上げるものだからということです。

 ストーリーテリングは、聞き手と語り手がお互い影響し合うので、機械のようにぴったり同じものにならないのも魅力の一つだからということです。正確さを求めるあまり、聞き手の呼吸を無視する形の語り方は、壁に向かって語っているという言い方でよくないものとされています。

 あとは、聞き手が集団だから成り立つという点だと思います。想像してもらうとわかりますが、目を見て語ろうとすると、聞き手が一人だと目をそらすことができません。語り手は聞き手の目を見て話していますが、目から目へ移動しているので、目をそらさないというより、目から目へ置いていく感じです。ですから、聞き手は少なくても五人くらいはいた方が話やすいのです。ストーリーテリングは、自分の子どもで練習してはいけないと言われるのも、この点が大きいと思います。

 そして集団で聞くということは、それだけで、安心した場所が作れるからだと思います。その場合、聞き手同士が知り合いかどうかということはあまり関係ないと感じています。同じ物語を一緒に聞くことで、柔らかな連帯感が生まれ、それが安心感に繋がるのだと思います。 

 初めての場所、知り合いがいない状況で、ストーリーテリングを聞くことがありますが、それでも、おはなしが始まれば、孤独な感じがしたことはありません。

 物語で繋がれるというのも、ストーリーテリングの魅力で、集う理由なのかもしれないと思います。