読み聞かせをする時には、絵が主役で、読み方の答えは絵にあると考えています。
私たちは、ともすると、読むことに注目しすぎて、文章だけ見てしまうことがあります。
よく質問される鉤括弧の中の読み方は、絵を見ると答えが描いてあります。
逆にわからないと思ってしまう理由は、絵を見ていないからなのではないかと感じています。
絵を見ないで、声の調子だけを気にして工夫を凝らすと、絵と喧嘩することになることもあります。絵と声、どちらについていったらいいのか聞き手が迷うような状態になっては、なんのための読み聞かせかわからなくなってしまいます。
時代が評価を通した絵本でも、言葉が口に乗らないと言った言い方で、文章と読み手の相性が原因だと思ったり、読み手の感性と絵本の世界観が合わないこともあると思ってきました。
それらは全て、実は絵の表現に添わない読み方だったため、収まりが悪く、うまく物語が伝わらなかったのではないかと、最近思っています。
そして、おとなは、見ようと意識したとしても、子どもほど真剣に絵を見ることが苦手なのだと思います。
先日も、勉強会で『ピーターのいす』を聞きました。もう数え切れないほど聞いたことがありますし、自分でも読んでいるので、ちゃんと絵を知っているつもりでした。
それなのに、その時初めて、ピーターのお母さんが、とても若いことに気がついたのです。読み手が絵を読み込んで、ちゃんと若いお母さんを意識して読んでくれた結果、お母さんの絵が目に飛び込んできました。そうすると物語の世界が生き生きと説得力のあるものに変化したと感じました。
妹のためにピンクに塗っただけでなく、ゆりかごのレースも、ベットの薔薇のイラストも、スージーの部屋の壁紙も、あのお母さんだからこそ、これじゃなければダメなのだと思いました。
正直、今までちょっとセンスが合わないなぁと思っていたあれこれは、お母さんをちゃんと見ていなかったからの違和感だったのだと気がつきました。
時代を超えてきた絵本は、やはり別格で、簡単にセンスの違いや絵本との相性では片付けられないものがあるのだと思い、楽しくなってきました。
絵に合わせることができると、絵本は今まで以上に魅力を発揮しするのだと嬉しい発見でした。