レパートリー

 ストーリーテリングをしていると、レパートリーの数を聞かれることがあります。ストーリーテリングを学び始めた頃は、それこそ、何話語れるようになったと、数えていたものですが、10話を超えるようになると、あまり数えなくなりました。

 理由は、語る場を持っていると新しく覚えた話ばかりをしている訳ではないからです。

 私たちのやっているストーリーテリングは、一回語れるようになっても、放っておいてすぐ使える訳ではないのです。

 どこかで語ろうと思ったら、もう一度おさらいをします。

 おさらいすることを、おはなし をもどすという言い方をして、最初に覚えることと別の扱いをします。

 けれど、やることは同じで、イメージで物語を最後まで再現してみて、そこに言葉がつくかを確認するのです。物語からイメージを興して固める作業がないだけで、ほぼ同じ形です。

 ただおはなしをもどす時の方が、全体の流れとしては入っているので、イメージの綻びや、語っているうちに自己流に変わってしまった言葉などが、見つかりやすいです。

 ですからストーリーテリングをしていると、新しく覚えることとおはなしを戻すことが入り混じって、新しい話ばかりと向き合っておらず、レパートリーという感覚が薄くなる感じがします。

 そしてどれだけ、経験を積んでも、伝承の語り手のように、この話を語ってと言われて、準備もなしにぱっと語るということをしないのが、ストーリーテリングの良さでもあるのではないかと思っています。

 30年ほど前、渋谷に童話屋という子どもの本専門店がありました。その本屋さんで、松岡享子さんの講演を聞いたことがあります。参加者も20人くらいだったでしょうか、講演者と聞き手が近く、書架の並ぶ狭い空間にぎゅうぎゅう詰めになって、聞いた記憶があります。

 講演終了後の質問タイムに、ストーリーテリングをして欲しいという要望が出ました。

 松岡さんは、今日は講演会なので、ストーリーテリングの準備をしてこなかったからとお断りになられました。松岡さんほどのキャリアの人でも、準備が必要なのだと驚いたものです。要望を出した人は、残念がって短いものでいいのでなどと言葉を重ねていましたが、松岡さんは頑として受け付けられませんでした。

 松岡さんが、ぱっと語れる話がなかったわけではなく、準備をせずに語ることをよしとしなかったことは、ストーリーテリングをするものにとって、心に留めなければならないことだと思います。

 そしてストーリーテリングは語れる数ではなく、物語と向き合う時間が大事なのだと思います。