目は口ほどに

 子どもたちが、どう聞いているのか、物語をどう受け取っているのかは、実際語ってみるとわかるとお伝えしてきています。計測機があって、数値化できるといったものではないので、どこで見分けているのかと言われると、子どもたちが微動だにせずに、前のめりで聞いていたとか、おしゃべりをしなかったとか、といった状況を説明することが多いです。

 けれどこの状況での説明は、その場にいなかった人に伝えると、お行儀に注目させてしまうことが多いと感じています。

 では何かと改めて言葉を探すと、聞いている子どもたちの目を見て、どう聞いているのかを判断しているという言い方ができるかと思います。

 目は口ほどにものを言うと言いますが、しっかり物語に浸って聞いている子どもたちは、目で先を促してくる感じがします。首を振るとか身体の動きより雄弁に目が語り、やりとりしている感じというか、物語を一緒に支えてくれる感じなのです。語り手がひとりで物語の展開を追うのではなく、子どもたちがちゃんと受け取ってくれて、口には出しませんが、うんうんそれでどうなるのと一緒に展開を楽しんでくれる状態が、ストーリーテリングでいうよく聞いてくれたということだと経験から感じています。

 子どもたちが言葉を発したり、笑ったり、頷いたりといった行動に出た方が、よく聞いているという感想を持たれることがありますが、ストーリーテリングでは、思わず呟いたとか、驚きに目を見開いたとか、微笑んだといった、注意深く見ていないとわからない反応はありますが、よく聞いていれば聞いているほど、目を引く行動が出ない気がします。

 イメージを渡すために、目を見ながら語りますが、一方通行ではなく、聞き手が物語を一緒に追っていることを感じるためにも、目を見て語るのだと思います。

 目を見て語ることが苦手な人もいますが、ストーリーテリングは、目を見ることで成り立っているのかもしれません。