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じゃあどうしよう

 昨日、驚いたことというタイトルで、古い失敗を書きました。

ストーリーテリングをしていて、思わぬことが起きることは、悪いことではないと考えています。キョンシー事件は心臓に悪いレベルの出来事でしたが、おかげで自分がどうしたいのかを突き詰めて考えることになりました。

 まず考えたのは、鈴は本当に必要かという点です。これは何のために鈴を使ったのかを考えることでした。

 鈴やおはなしのろうそくといった、ストーリーテリングを始める際に使うものは、日常から物語の世界に入る合図です。

 ストーリーテリングは、ぼんやり受け身で聞いていると、言葉を受け取り損ねて、物語から振り落とされてしまいます。聞き手に物語を受け取るぞという意志が必要です。普段の耳の使い方と少し違い、聞き漏らすまいという聞き方をすることなのだと思います。そこでその切り替えのための仕掛けとして、鈴やろうそくが使われるのだと思いました。そこで鈴は絶対必要だと考えました。

 次になぜ合図が機能しなかったのかを考えました。なぜキョンシーごっこになったのだろうだと考えたのです。

 原因として考えられるのは、はじめてのおはなしの会で急に鈴を見せられて、自分の知っているところへ引き寄せたということと、一応説明したつもりでしたが、ちゃんとおはなしの鈴が何なのか伝え切れていなかったことです。

 特にはじめてにも関わらず、子どもたちの反応を考えずに、とりあえず鳴らしてしまえとばかりに先を急いだ自覚があります。もし取り出した鈴をたっぷり見せて、子どもたちを鈴に集中させていたら、鳴らす前にキョンシーの鈴に似ているという言葉を引き出せて、おはなしの鈴が鳴ったら子どもたちにどうしてほしいのかを、ただの説明ではなくキョンシーを絡めて納得してもらえたかもしれません。やはり目新しいものはじっくり見せて納得してもらうこと、説明は一方的に通告するような言い方では伝わらず、子どもの反応をちゃんと感じることが大事という当たり前のところができていなかったということだと思います。

 おはなしの会の始め方を見たことがあっても、手順として教えてもらっていても、実際自分でやる時は、手順を守ることだけでは、相手が思うように動いてくれないと身をもって知りました。

 書いていても当たり前のことすぎて恥ずかしいですが、ストーリーテリングに関しては、じゃあどうしようと考えることが大事だと思っています。