時間が経つと

 ストーリーテリングをやっていると、使おうと思って覚えたけれど、子どもに語ったことがないおはなしというのが、どうしても出てきます。

 理由としては、選び方の問題と語り方の問題に分かれます。

 選び方の問題では、聞くことを前提にしていない物語を選んでしまう場合と、選んだ物語を楽しめる聞き手がいない場合が考えられます。どちらも聞き手に負担がかかるので、無理にストーリーテリングで渡す必要がなく、語る機会がないということになります。

 一方語り方の問題では、物語のイメージを語り手が固めきれない時に起こります。イメージに起こす時に語り手が物語に違和感を感じていることが原因だと考えています。具体的には、納得しきれないことが起こる場面があったり、登場人物の行動と年齢が噛み合わない感じだったり、読んだ時にすんなりと頭に入らないというか、イメージにならないことを指します。これは語り手が意識しているかどうかではなく、聞くとわかります。そのため勉強会で語った時に語り手との相性が悪いと判断して、語ったことのない話になる場合が多いです。

 この語り方の問題で、語ったことのない話は、寝かせておいて試すと、うまくいくことがあることに気が付きました。

 この寝かせる時間は、年単位のもので、できれば以前語った時のことを思い出さない位の時間を想定しています。最低でも5年、できれば10年ぶりといったかんじの時間です。そして物語と向き合った時に引っ掛かりがなく、素直に物語についていければ語れます。

 以前うまくいかなかった理由としては2点推測しています。

 ひとつは語った経験があまりない時期に覚えた物語は、イメージを作る際のポイントがずれていたために、違和感を感じることになっていたのではないかという理由です。

 そしてもうひとつは、語り手の人生経験です。語ろうとした物語を受け止めるには人生経験が足りなかったのではないかと考えています。振り返ってみると、引き込まれるようなストーリーテリングの語り手は、人生の先輩ばかりだったと思います。歳を重ねたことで出てくる味というのもあるのではと最近思っています。

 自分に当てはめると怖い考え方ですし、できているとも思えませんが、どこまで行っても次の段階があることを楽しんでいきたいと思います。