イメージの変化

 普段あまりしないおはなしを、久しぶりにすると、自分が記憶していたイメージと出てくるイメージが違うことに気がつくことがあります。

 イメージは、語り手の体験や感覚に直結していることと、言葉とイメージの結びつきの強さで保たれているので、変化するのが自然なのだと思います。

 例をあげてみます。

 語り手の体験や感覚がイメージに反映したことで思い出すのは、自分の子どもがいたずら盛りの頃に語ったエパミナンダスです。その頃の私のエパミナンダスは、お母さん寄りで張り切ってエパミナンダスを叱っていました。エパミナンダスの言動に実際の子どもが重なって、叱るお母さんに実感がこもってしまい、物語として歪なものになっていました。勉強会でも10年後にもう一度聞いてみたいと言われましたが、語っている自分としては、何を言われているのかピンときていませんでした。

 言葉とイメージの結びつきは、30年ほど前の勉強会であかずきんを語った時が当てはまると思います。初々しいかわいらしいあかずきんだと評されましたが、実際語り手として若かったので、主人公の年頃の記憶が比較的新しいからとその時は思いました。声を含めて語り方の問題だと受け止めたのです。けれど、今イメージの変化として捉えると、固まりきらないイメージとそのイメージを追うさまを指摘されていたのではないかと思います。実際思い返してみても、なんとか同じイメージを保つことに精一杯で、今に比べてあかずきんのイメージが揺らいでいたような気がします。そしてイメージを追う必死さ加減が、ちょうど主人公の言動と共鳴しあっていたような気がします。

 このように、イメージは揺らぎやすいものですが、変化は忌むべきものではないと思います。イメージに集中できなければ揺らぎもおこらず、豊かなイメージが望めないと思うからです。イメージに真剣に向き合い、変化を敏感に感じ、物語として必要な形にコントロールすることが大事だと思います。