文化としての語り

 平成の時も昭和生まれであることは前時代の住人的な扱いをされて複雑な気分になったものですが、時代が進んで令和となった今、自分が明治生まれの祖父母と同じ2つの時代を越えたものだと思うともはや、反論する意欲もありません。私の祖父母が生まれた頃というと100年程前になりますが、生活を農業など第一次産業で支えている人が多かった時代だったと思います。家族の形も今と違い大家族が多く、人は労働力として考えられる側面が強かったような気がします。そんな中で子育ては母親の役目ではなく、母親しかできないこと以外は、手の空いた人が面倒をみていたようです。子どもを遊ばせるにしてもテレビどころかラジオもない、人が相手をするしかない状況です。そんな中で、道具もいらずにいつでもどこでも楽しめる語りやわらべうたは大切にされてきたのだと思います。語りは労働の第一線から退いた年配の人が語って聞かせたことが多いのではないかと推測しています。それは子守をしながらの語りだったりするので、子どもとのやりとりや部分的に唱和する事まで含めた遊びだったのだと想像しています。実際そういう状況で育っていない私の世代でも語りというと年配者の声と、温かい交流を思い浮かべるのは、祖父母世代の記憶が様々な形で伝わってきているのだと思います。そして以前放映されていた「まんが日本昔ばなし」の語り手 常田富士男さんなどは、アテレコをすることでおじいちゃんが語ってくれる感じを再現していて、多くの人に支持されたのだと思います。このように語り方そのものより、文化としての語りという面に光があたると、この温かい交流という形になるのではないかと考えています。けれどそれは言葉だけで伝える場合、生活を共にするものが生活に根ざした言葉で語るからこそ成り立つもので、私たちができることではないと思います。

 書き言葉になっているテキストから覚えて語る私たちのスタイルが一番生きる形を見失わないようにしたいと思っています。