昔話の主人公たち

 私は、自分の子ども時代にストーリーテリングを聞いたことがありません。けれど中学生の時、完訳のグリム童話に魅せられ、それこそ聖書のように枕元において毎日毎日読みました。なぜ読みたいのかは自分ではわかりませんでしたが、読まずにはいられなかったのです。それはグリム童話全集というタイトルで河出書房から出版されたもので、祖母が買っておいたものでした。函付で函には藤城清治さんのモノクロの影絵があしらわれデザイン性が高く重厚な作りでした。タイトルに童話と入っていても子どものものとは思えず読むことに違和感はありませんでした。

 その当時の中学での生活は、校則にがんじがらめにされていました。今思い返しても意味不明な校則が山のようにあって、校則違反は厳しく取締る風潮でした。違和感を感じていましたが、反抗するエネルギーもなく諾々と従っていました。生徒同士の人間関係も神経を使うことが多くストレスばかりが溜まる生活だったと思います。

 そんな中で、中学生の私は昔話の主人公たちの行動力に魅了されていたのではないかと振り返って思います。シンプルで行動的でそして抱えていた困難が解消される物語が、設定を変え、登場人物を変え、本に詰まっているのです。その上教訓の匂いがしないのです。おかげで人が生きていくことがどんなことなのかをそうとは知らずに物語の形で受け取ったのだと今感じています。

 私がストーリーテリングを続けている理由の一つはこの昔話の主人公たちに魅了された経験だと思っています。そして大事なのは物語を伝えることであって、どう受け取るかは聞き手のものという感覚も中学生時代の経験が反映していると思います。どう感じるかではなく、何が起こっているのかを主人公と一緒に辿ることが、物語が持っている豊かなものを受け取る手段として適していると思います。そして聞き手は物語を丸ごと受け取ることで意識せずに豊かなものを受け取る可能性があることを忘れずにいたいと思います。