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感覚が鈍ってきているのかも

 辞書を引くようにインターネットで検索をかけることが日常的になり、知りたい情報はなんでも手に入ると思えるようになりました。特にスマホの広がりが検索することのハードルを下げたと思います。そして時間も場所も問わずに検索できることがもたらしたものは大きいと思います。加えて人工知能の発達により人工知能の情報処理能力が正解を導き出すのではないかと期待されています。けれど正解を見つけてそれをやってみることだけで問題が解決する訳ではないことを私たちは漠然と感じているのだと思います。もし情報にアクセスするだけで解決できると信じられるなら、先行きの不安などは感じずにすむと思うからです。それでも日常的に検索しているうちに、答えを探さないと動けないような錯覚に陥ることがあります。現に気温ひとつとっても、体感で感じていたはずの寒暖差をスマホの表示する現在の気温を見て判断している自分に気がついて唖然とすることがあります。

 こう考えると私たちは感覚が鈍ってきているのではないかと思います。感覚に頼るよりデータに頼ったようが失敗しないということもあるとは思います。けれど感覚を鈍らせるのは生物として歓迎することではないと考えています。論理的に考えられた科学的なものと感覚的なものは相入れないと思われがちですが、どちらかを否定しないと成り立たないものではないと思います。そして科学的と感覚的だけでなく一見相反するものを自分の中でバランスを取りながら両立させていることは珍しいことではないと思います。

 現状、科学的論理的であろうとして感覚的なものが軽んじられすぎているのではないかと思います。そして軽んじられて使われないために感覚は鈍っていくのだと思います。どう感じたかを観察することも必要なのではないかと思います。