読んで楽しい 聞いて楽しい

 読んで楽しいものと、聞いて楽しいものがあることは、詩を読んでいて気がつきました。きっかけは『ことばあそびうた』谷川俊太郎/詩 瀬川康雄/画 福音館書店 です。この作品は、全てひらがなで書かれ、書き出しが一字下がることもなく句読点もありません。意味を取ろうとすることを拒むかのような作りです。読者にとって読んで意味が取れないことは苦痛です。黙読しているうちは意味を求めて四苦八苦しました。おまけに無意味な音の羅列ではないので意味を取ろうとすれば取れるのです。けれど音読してみると、不思議なことに意味が取れるように読まなくてもおもしろかったのです。音の連なりとしてもちゃんと成り立っていることに夢中になりました。そして書かれていることばに勝手に何か加えたり割愛したりするとバランスが壊れることにも感心しました。作品としての完成度が高いのです。この時から詩に関しては黙読に向くものと音読に向くものがあることを意識してきました。

 そして黙読と音読の関係は詩だけでなくストーリーテリングのテキストにも当てはまります。私たちはストーリーテリングのテキストに関して、ふじい文庫の恩恵を受けてきました。ふじい文庫がその実戦から導き出したストーリーテリングに向くテキストのリストを頂いていたからです。そのためテキストを見極める必要がなく、最初からストーリーテリングに向くテキストで語ってきました。けれど読んで楽しいのか聞いて楽しいのかを聞いて確かめたことがある人とない人ではストーリーテリングの仕上がりに違いが出る気がします。聞いた時に繰り返しがリズムになると知っていても、実際繰り返しをリズムで体験したことの代わりにならないからです。聞いて判断するというのはストーリーテリングのような聞くことで成り立っているものの特徴です。テキスト選びに苦戦する場合もやはりストーリーテリングを聞く機会を増やすことが助けになります。語り手にとって聞くことは何よりの栄養になると考えています。