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画家のイメージ

 読み聞かせを聞く側になって絵で物語を受け取る時、画家のイメージの確かさに圧倒されることがあります。絵というのは言語と違った雄弁さがあります。聞き手が言葉を頭で変換しなくても直接共有できるものがあるからです。

 例えば先日勉強会で『ももたろう』松居直/再話 赤羽末吉/画 福音館書店 を聞きました。恥ずかしながら絵に任せたらこんなにスッキリした話なのかと驚きました。私自身この昔話にさほど心惹かれておらず、この絵本の魅力がよくわかっていなかったのです。いけないことに私は赤羽さんの『だいくとおにろく』の鬼の絵が好きで『ももたろう』の鬼の絵を物足りないと思っていました。けれど物語の流れを感じながら絵を見ていくとももたろうの鬼は、赤羽さんの絵本画家としてのセンスが生み出したものだと感じました。このももたろうでは鬼の姿形は鬼の大将とか青鬼など必要最低限の描写に限られます。鬼の姿形のリアリティを必要としていないのです。文章は攻め込んだももたろうとその仲間たちの活躍が語られています。そのため、だいくとおにろくばりの鬼の絵では主役が誰かわからなくなることと動きを感じられなくなるのだと聞いてみて思いました。物足りないと思った赤羽さんの鬼の絵はももたろうたちの躍動感が伝わり文章と息が合っています。まさに絵と文章を同時に楽しんでこその絵になっているのです。今頃こんな根本的なことに気がつく自分に我ながら呆れました。

 けれど情けない思いをした分、気がついたことがあります。集団に対する読み聞かせで読む絵本を選ぶ時、絵が好みかどうかが大事というのは、もしかしたら初心者向けのアドバイスなのかもしれません。絵に任せる読み方ができるようになると読み聞かせに向く絵本はどれも過不足なく読めるのだと思いました。私たちは画家のイメージを邪魔しない読み方をすればいいだけです。読み方の答えは絵にあります。絵本の雰囲気と読み手の雰囲気が合っていることに囚われすぎずに今まで読んでこなかった絵本を読んでみると見えてくるものがありそうです。