目をみる

 集団に向けた読み聞かせでは聞き手の顔を見ませんが、ストーリーテリングは顔どころか視線を合わせ聞き手の目を見て語っています。ストーリーテリング初心者の中には聞き手と視線を合わせることに馴染めず目を見ることができない人もいます。けれど慣れてくると視線をそらされるほうが語り手にとってストレスになる程、視線を合わせることは大切なポイントです。読み聞かせでは聞き手の顔を見ないのに、ストーリーテリングではなぜ視線を合わせるのか整理してみます。

 繰り返しになりますが、ストーリーテリングをする時にはテキストの文章からイメージを固めた上で、固まったイメージにテキストの文章をのせて語ります。実際目に見える訳ではないので語り手によってその状況の説明の仕方は違いますが一般的に絵を見ているような形だと言われています。私の感覚で説明するとしたらイメージを実況中継している感じでしょうか。

 そして私の感覚だとそのイメージの置き所が聞き手の目です。聞き手の目に預けながら語るのです。視線を合わせるというのは語り手と聞き手の合意がないとうまくいきません。目を見る理由のひとつはこの合意のためだと考えています。物語を渡そうとする語り手の意志と物語を受け取ろうとする聞き手の意志が合致した状況が視線が合うことだと思います。

 もうひとつ考えられるのは、物語の信憑性が目を見ることで強化されることです。物語を語る時、物語の中の事だから本当のことではないと語り手が感じていたら物語が成り立ちません。物語の中で起こることは疑い様のないことだと語り手が誰よりも感じている必要があります。語り手は物語の中で起こったことを伝える役だからです。そのため聞き手の目を見るのだと思います。普段会話をしていても視線が揺らぐと自信がない印象になるように、視線を合わせた方が発言に説得力が増します。そして語り手の説得力は物語をより楽しめるものにします。

 語り手は習慣として目を見て語ることが身についていますが、たまには改めて考えてみることで、新鮮な気持ちで語り続けることができると思います。