短くてもおもしろい

 昔話のおもしろさがわかりにくいと感じる時は目で読むより耳で聞いたほうがおもしろさが感じられますが、それでも人によってはわかりにくいこともあるようです。特に聞き始めの子どもたちにするような5分位の物語は、聞き慣れないおとなが聞くとあっけなさすぎると感じるようです。そのため自分が聞いておもしろいと思うのではなく、子どもが喜ぶ話として聞いてしまいます。そして短い単純な話を喜ぶ理由を子どもだからと考えてしまいがちです。けれど子どもも大人と一緒に聞くことがあった昔話は子供騙しとは無縁です。聞き慣れてくると長い話も短い話も違いがないことがわかります。

 また聞くだけでなく語り慣れてくると実は長い話より短い話の方が難しいことに気がついてきます。長い話は主人公に降りかかる出来事が多いので、主人公の人となりがその行動で補強されていきます。登場した時に語り手が提示するイメージと出来事が補完しあってより豊かなイメージが生まれ、主人公の行動が共感を持って聞き手に受け入れられます。短い話だと主人公の行動範囲は狭く行動内容も単純です。登場した段階のイメージがしっかりしていないと主人公の行動に納得できずに物語についていけないことになります。物語が成立するかどうかは聞き手が物語の中の出来事に納得できるかどうかですから、短い話の方がより語り手の技量が試されます。

 そして聞き始めの子どもたちに短いお話をもっていくのは、単純に子どもの集中の持続力の問題です。物語が単純か複雑かどうかではないのです。物語を聞くおもしろさを知って集中力に期待ができれば、長いお話も聞けます。年齢ではなく聞き手の聞く経験でどんな物語を持っていくかを決めているのはこのためです。短い昔話のおもしろさがわかってくるとストーリーテリングの本質に近づける気がします。