聞いた感じと語っている感じ

 聞いた感じと語っている感じは初めから一致しているものではありません。勉強会で手がかりをもらいながら、聞いた感じと語っている感じをすり合わせていき物語が丸ごとすんなり聞き手に伝わるようにしていきます。これはストーリーテリングだけに言えることではなく、発信されてものを受け取るという関係の場合、他の関係でも起こるのだと感じています。

 例えばこのブログですが、アップしてから直していることにお気づきでしょうか?自分で推敲しているのではなく読んで確かめてもらっているのです。そして誤字脱字だけでなく読んで理解できるかの判断に基づいて直しています。公開してから修正をかけるのは褒められたことではないと思いますが、それでも読んでくださる方に伝わることの方が大事だと考えての修正です。

 意外なことにこの作業は勉強会ととても似ていると感じています。書いた感じと読んだ感じにずれがあるのです。この方が伝わると思ったフレーズが読むとしっくりこないことをこの作業で知りました。自分で読んだらわかるのではと思われるかもしれませんが、自分では伝わるつもりで書いているので読み直しておかしいところを見つけられていません。書き手の未熟さを棚にあげた言い分だと自分でも思います。修正は自分でしますが、伝わっているのか見極めるために文章が伝わるかに特化した読み手が今の私には必要です。

 そしてその感じが勉強会が必要な理由だと思います。聞いたらわかるというのは物語が伝わるかに特化した聞き手が必要だからです。子どものように聞くとわかるというのは子どもが物語を受け取ることだけに集中して聞くからです。これは決してあら探しではありません。減点方式の採点ではないので間違いを見つけるために聞いている訳でなく物語についていけるのかを聞いています。この聞いた感じと語った感じの違いをすり合わせ、修正をかけていくことで語り手になっていくのだと感じています。