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絵本との相性

 読み聞かせは音読するため、特に表現する気がなくても声に読み手の感情が滲み出るものです。そのため絵本に対して読み手に納得できていない引っ掛かりがあると物語が丸ごと伝わりにくくなるので無理して読みません。共感できる好きな絵本を読もうというのが基本です。そして同じ絵本でもすんなり納得できる人もいるので絵本と読み手の相性というものがあるとずっと思ってきました。そして絵本と読み手の持つ雰囲気が合った時には読んでもらった時に絵本の世界を堪能できる居心地の良さを感じます。そのためこの絵本を聞くならこの人に読んで欲しいと思ったりもします。

 けれど今頃になって共感とか相性は読み手の物語を受け取る力の問題かもしれないと感じています。集団に対する読み聞かせでは、ストーリーテリングと一緒で物語を渡すことが大事です。ストーリーテリングより絵本の方が絵という直接共有できるイメージがあるので、読み手が物語の流れに集中していなくても読めてしまいます。そしてその分物語を渡すという点でぶれが生まれやすいのだと思います。これは気が散ると言い換えてもいいかもしれません。絵に導かれ物語の流れに素直に身をまかせるはずが、うっかり流れに関係ないところに引っかかってしまうという感じです。なんでこんな絵が描いてあるのかとか、どうしてこんな表情なんだろうなどと考えながら読むことが絵本の場合だと可能なのです。そして絵からのメッセージを受け取れず、物語の流れから外れたところを強調して読んでしまったりもします。これでは聞いている方は落ち着きませんし物語を受け取る満足感を味わうことができません。これを避けるために共感できる絵本といわれてきたのだと思います。物語を丸ごと受け止めることができないと共感できないからです。

 しかし共感を推し進めて相性の問題に落とし込むことで大事なことを見落とす気がしてきたのです。読み継がれてきた絵本には底力があります。子どもに媚びず、流行に阿ることなく絵本が物語として成立しています。読み聞かせの経験を積んでもなお違和感を感じさせる作りのものはないのだと思います。物語を丸ごと受け取ることが当たり前になると見えてくるものがあると感じています。相性のせいにしないで読んでみると新たな発見があるかもしれません。