聞き手であり語り手であること

 語り手のあり方の話を書いていると、どんどん自分の首を絞めているなぁと思うことがあります。目指すところは見えていても、自分ができているとは限らないことが多いからです。そして多分ストーリーテリングにおいて一番厳しい聞き手は自分だと思います。

 語り手は1人目の聞き手という言い方がされるのは、自分で自分をジャッジする必要があるからだと考えています。物語に集中することと1人目の聞き手になることは一見すると矛盾しているように感じられるかもしれません。それは聞き手は物語の外にいて語られる物語を受け取る役と捉えるからだと思います。1人目の聞き手というのは客観的にどう聞こえるかと感じるということではなく、物語の中に留まって言葉とイメージの結びつきを感じることなのではないかと思います。イメージに言葉をつけるという言い方をずっとしてきていますが、本来イメージと言葉は切っても切れないものです。ストーリーテリングはこのイメージと言葉が渾然一体となっていることが体感できるものだと思うのです。これは言葉でイメージを伝えたいとも言い換えられるので言葉だけになりがちな暗誦的なものを嫌うのだと思います。1人目の聞き手でもある語り手は、このイメージと言葉が一致しているのかを感じています。発信と受信が同時に行われている感じがイメージと言葉の一致だと考えています。聞き手であり語り手であるというのはイメージと言葉の結びつきを感じていることです。イメージと言葉の結びつきがきっちりしていることが聞いて理解することを容易にする理由だと考えています。