聞き手の目

 語り手が聞き手の目を見て語るのは、イメージを共有するためですが、イメージの渡し場所としてだけでなく、聞き手の目から受け取っているものがあります。聞き手の目を見ていると物語についてきているのかが分かります。例えばストーリーテリングの最中に顔を伏せてしまう時は、物語についてこれない、もしくはついて行きたくないという意思表示だと考えています。最近発達障害などの新しい症例が増えて一概にいえなくなってきてはいますが、基本的にはストーリーテリングを聞くつもりで参加している時に視線が合わないのは物語を受け取っていないと考えられます。視線が合っている場合でも、その視線の強さが物語の受け取り方の度合いを表していると感じています。物語に深く入り込んでいる聞き手ほど視線の強さを感じます。普段の生活でも視線を強く合わせる時は真剣な話をする時です。真偽を測るときなども目を見て言えるかどうかが基準になったりします。ですから物語に入り込んで真剣に聞いている聞き手ほど強い視線になり、語り手のイメージを見極め、先を促す感じになります。聞き手にひっぱられる感じがするというのはこの視線の強さに影響されることです。語り手が自分のイメージの底の浅さに恥いる気持ちになることもあり怖い部分もありますが、そんな聞き手に巡り合うのは語り手として嬉しいことです。

 この様に聞き手の目は、語り手にとって重要なものです。視線を合わせることを怖がって避けるのはもったいないと考えています。そして視線を合わせられない状態で語られる物語は説得力に欠けます。物語を聞き手に渡してこそのストーリーテリングです。聞き手の視線を受け止めても余りあるイメージを持った語り手でありたいと思います。聞き手である子どもたちが強い視線を語り手に向けてくれる様になることが物語を聞く力がつくということだと考えています。