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違和感

 『わたしとあそんで』で使われてる画材が何かを知りたくてネット検索をしました。調べている中でエッツの生い立ちや境遇と絡めた作品研究を目にしました。絵本に対してもこういった文学や絵画の研究手法でアプローチが行われることは知っていましたが、なんとなく違和感を感じました。 

 作家の手から離れて世に出た作品は様々な立場の人の様々な解釈が加えられます。そしてどう読むのかは読者の自由です。解釈の一つとしてこういったアプローチを否定している訳ではありませんが、絵本に関しては後付けの印象が強いと思ったのです。

 文学作品に関しても絵画に関しても、作家がどんな意図で作品を作ったのかは、想像力を掻き立てられる視点です。そして作者の意図を理解すると作品に対する理解も深まったと感じます。けれど本当のところ作者の意図が明確ではなくとも、作品は生まれることもあるのではないかと感じています。特に絵は言語化を必要としない作者のイマジネーションの発露です。冷静な分析の上で生まれることもあるかもしれませんが、言語化をすること自体できないものもあるのではないかと思います。だからこそ謎解きのように見たものの好奇心をくすぐるのだと思います。

 そしてこの好奇心はおとなのものだと思います。時代背景の理解や心情への共感があってこその楽しみだからです。ですから絵本に関して作者の生い立ちなどと絡めた解釈は、おとなの楽しみと割り切って受け取る必要があると思います。絵本は子どもだけのものではなく、おとなも楽しめるものです。けれど楽しみ方が同じとはかぎらない事を意識する必要があります。そして解釈だけではない楽しみ方を知ることが読み聞かせをする私たちには必要です。