好きな話

 ストーリーテリングでは、自分が好きな話をすべて自分で語れる訳ではないと言われています。特に創作のものは語り手を選びます。その代表的なものがアンデルセンの作品です。アンデルセンの作品は幅広い読み手に支持されているので、語りたいと思う人も多いのですが語った時に物語が過不足なく伝えられる人とバランスが崩れる人がいて、誰でも語れる話ではありません。また誰かが語るのを聞いて好きになった話も、自分で語った時に思った形にならないことがあります。語り手のイメージごと受け取った物語なので、同じイメージで再現することが難しいからです。

 そして語る経験を重ねていくうちに、自分との相性ということを考えるようになります。ストーリーテリングは物語も語り手も活きる必要があるからです。語り手が無理をして物語に合わせると物語が窮屈なものになります。また語り手が自分の思うがままに語ると物語が変形してしまうことがあります。物語が物語として活き、語り手が自分を殺さずに語れることが、ストーリーテリング では大事です。

 けれど自分を振り返ってみると次第に自分と相性がいい話が見つかるようになり、同じ傾向の話を持ち話として語るようになって行きます。でも最近そこにこだわり過ぎるのはいかがなものかと思うようになりました。理由はストーリーテリングを聞いた体験が圧倒的に少ない状態でストーリーテリングを始めているからです。そのため好きな話は活字から読み取ったものだったり、聞いて好きになる話もひとりの語り手のものを一回しか聞いたことがないまま好きになったものです。ストーリーテリングでの好きな話は何度も聞いたことがあっても好きな話なのだと思います。同じ話を何度も聞きたいことが重要で物語を物語として渡せるなら語り手を問わないものなのではないかと思います。アンデルセンの話は物語を物語として渡すことが難しい話です。物語として渡すために作られた昔話などは好きな話を何度も聞いても聞き飽きないのだと思います。これからは自分にとっての何度聞いても好きな話を探して行きたいと思います。