全員が聞き手

 出張おはなしの会をしていると、語っている最中に受け入れ先の保育園や学校のクラス担任の動きが気になる事があります。例えば、担任の先生が子どもたちを観察して気になる子どもの聞く姿勢を正したり、おしゃべりしていたら口を閉じる様指示される場合があります。ご自身が集団を相手にしていない時こそ個々対応できる格好の機会だと思われるのも、外部から人が来ているのだからきちんとさせたいというのもわかる気がします。それでも私たちは語り手に任せて子どもたちを見守るだけにしてほしいと感じてきました。先生の動きが語り手と聞き手の集中を途切らせ、物語に浸ることの邪魔になっていると思ったからです。

 けれど問題は先生が動くことではないことに最近気がつきました。子どもたちを観察し細やかに対応してくださっていても動きが気にならない先生に出会ったからです。なぜ個々の子どもたちに注意していても気にならないかは、注意の仕方にありました。語り手が声を出している最中は先生は声を出さずに注意を促していました。そして注意はその子が物語から逸れてしまっている時に物語に戻すことを意識したものでした。そして物語の中で大きな動きに入るタイミングでは動かれませんでした。物語を丸ごと全部受け取ってこそ楽しさがわかることという思いを先生もお持ちだと嬉しくなりました。またこれらの対応は、集団として聞いているということも十分意識されたものだと感じました。声を出さずに注意を促すことは、語り手の邪魔にならないだけでなく、じっくり聞いている子どもたちの邪魔にもなりません。集団で聞いて楽しむことの本質をご存知で聞いている子がきちんと大切にされていることも好感が持てました。

 大切なのは、おはなしの会の現場にいるもの全員で聞き手の集団が成り立っていることです。先生の立場で動かれる際も立ち会っていらっしゃる以上一緒に聞いていることが大前提なのです。聞き手のひとりという意識があれば、物語の邪魔にならない動きが可能だということを見せてもらいました。思い返してみれば、複数の語り手で同じクラスに入る時、子どもたちの横に座って聞き手に回る事があります。その時、子どもたちの注意が聞き手の自分に向かない様、声を出しませんし、もしこちらをチラチラ見る子がいても語り手に集中していると子どもの視線が語り手にもどるのも、同じ原理だと思います。その場にいるもの全員が聞き手なのだと再確認しました。