聞き手と共に

 ストーリーテリングの様な語り手と聞き手で作り上げるものは、伝え終わった時にお互いに満足感が生まれるものです。それはその物語を堪能したという感覚です。子どもたちの口から思わずこぼれる「ああ おもしろかった」は満足したというサインだと感じています。

 けれど両方で作り上げるものは、うまく伝わらなかった場合に理由を確定しにくいものでもあります。特にストーリーテリングは聞き慣れる事で聞き方が上達するので、伝わらなかった理由を聞き方の未熟さにしがちです。確かに聞き慣れない子どもたちの聞き方は物語についていくのに精一杯で、物語の中に留まり続ける事ができないこともあります。そして聞き手はいつも集団です。集団は聞き方に個人差が生まれるので、伝わっている子と伝わっていない子の混ざる集団では伝わったと思っていいのか悪いのか、迷うことになります。

 ストーリーテリングでは聞き手の目を見て語るので、ひとりひとりの聞き方を感じる事ができます。けれど1人に対して語っているわけではありません。うまく受け取ってくれている子の目を見ると追い風を感じ楽に語れる感じがします。うまく受け取れていない子の目を見ると向い風を感じ足取りが重くなる感じになります。けれどストーリーテリングは止まれません。様々な風の吹く中を前に進むのです。ですから集団に伝わったかどうかは受け取れた子の数を数える様なものではなく、物語の中へ行って帰ってきた感覚が語り手と聞き手にどの程度あるかなのだと思います。物語の中に入った感覚がない子がいない状態を目指し最初から最後まで物語に留まるれる子を増やすのが集団として聞き慣れていくという事だと感じています。そして本当は聞き慣れない子でも楽しめるのがストーリーテリングだと思います。ストーリーテリングは物語です。物語は無条件におもしろいものだと私たちは知っています。聞き手を育てることを意識するあまり、物語の楽しさを置き去りにしない様にしたいと思っています。