説明してみたら

 ストーリーテリングについて説明しようとしてきたら、様々な切り口から説明できることに気がつくことになって驚きと新鮮な気分を味わっています。こうして書いて説明しようとした当初は、ストーリーテリングで何をしようとしているかが共有できていないために、私たちのグループとしてのストーリーテリングのあり方がうまく伝わらないのだと考えていました。けれど物語を丸ごと伝えるためのストーリーテリングなのだということを理解しても物語として渡すことができるわけではなかったりします。それでは語り方を覚えればいいのかといえば、口移しでその通りに語ったとしても物語が伝わらないのです。よく考えればそれが有効なら型から入る形で教えられてきたでしょうし、語り方には幅があると教えられてきたのは他の人の真似が有効ではないからだと思います。ストーリーテリングで何をしようとしているのかが同じだとしても、語り手の数だけの語る感覚があり、聞き手の数だけ物語を聞く感覚があるのだと思います。そしてそれぞれの物語と自分の関係の中で何を大切にしているのかという優先順位とその大切にしているものの種類との組み合わせが違いを生んでいるのだと思います。またこの組み合わせの妙がおとながストーリーテリングを聞く楽しさの一つになっていると思います。あの語り手のあの話というのはこの違いを愛でた楽しみだと感じています。かつまた子どもにとっては誰が語るかはさほど重要ではないと感じています。おとなほど語り手と物語の組み合わせに拘って聞いている感じがしないからです。子どもたちの方が物語をシンプルに受け取り、物語の展開に集中する聞き方をしますが、おとなはなかなか物語の展開だけに集中できない傾向があると感じています。ですから物語の展開に集中できる聞き方を身につけることが、物語を渡す力につながっています。

 ストーリーテリングについて思いつくままにお伝えしてきていますが、語り手が忘れてはならないのは聞き手に物語を丸ごと渡せたかどうかを意識することという単純なことのみなのだと思います。テキストを吟味したりイメージを固めたりということは渡すために必要なことで、それさえできれば良いというものではないのだと思います。そして語り手の数だけある伝える感覚の中で、私の感覚がヒントになるといいなぁと思いながら書いて行こうと思います。