同じ話を聞く

 ストーリーテリングをしていると、物語の展開についてこれない訳ではなさそうなのに、きょとんとされることがあります。例えば「アナンシと五」のハトの奥さんのサツマイモの山の数え方に、きょとんとする子がいます。特にハトの奥さんが1回目に数えた「私の乗っている分」になぜそうなるのかわからないといった感じの反応なのです。当然これがピンとこなければ、3回目の「座っている分」と言い換えるおもしろさは伝わりません。今までこういった反応に出会うと、物語の選択を誤ったと感じていました。けれど最後にアナンシが怒りのあまり五と言ってしまったという物語の結末はちゃんと伝わっています。山から山へ飛び移って数えている様がうまくイメージできていないのか、ハトがサツマイモの山に乗っている様がイメージできていないのか、とにかくイメージで受け取ることが十分できていないのだと思います。これは聞き慣れないために起こっていることですが、イメージの受け渡しがスムーズにいくようにより短く単純な物語にしていくことは得策ではないと最近は考えています。

 ストーリーテリングは同じ話を何度も聞くことも楽しみのひとつです。同じ話を繰り返し聞くことで、イメージがより鮮明になっていく体験の方が必要なのだと考えるようになりました。おとなでも何度も聞くことで今まで気がつかなかった部分が急に見えることがあります。「アナンシと五」で言えば、ハトの奥さんが可愛いピンクの足で歩きながらやってくるという場面がありますがハトが、アヒルやウサギと違って足で数えるからだと気付くのは、初めて聞く時ではないと思います。同じ話を聞くことで、イメージがどんどんくっきりしていくおもしろさを体験していくことも聞く力を育てると思います。