語り手の緊張感

 昔話の成り立ちを考えると、昔話は初対面の人に語るものではなかったのではないかと想像しています。昔話の記録を辿ると農耕が生活の基盤だった時代のものを目にすることが多いので作業を助け合う小さな共同体の中で語り継がれてきたのだと思います。共同体の中の楽しみとして残ってきたのだとすると、初対面の人がいたとしても聞き手全員が初対面ということは考え難いと思います。ですから語ることへの極度の緊張感というものは昔話と相性が悪いのではないかと思います。

 それに比べて現代の語り手である私たちは、初対面の人に語ります。初対面の人に語ることは緊張感を伴います。もしかしたらストーリーテリングは聞き慣れることが大事だと感じているのは初対面の人ではない安心して語れる聞き手を求めている部分もあるのかもしれないと思います。そして家庭文庫のような聞き手が固定されている環境に憧れるのも語り継がれてきた昔話の環境を無意識に求めているからかもしれません。そう考えると勉強会のメンバーを固定していることも安心して語れる場を求めているからなのかもしれないと思います。

 どちらにせよ、語り手の緊張感が物語よりも強く伝わるストーリーテリングは、聞き手もゆったり聞くことができません。現代の語り手として初対面の人に語らなければならない私たちは、緊張感と上手に付き合っていく必要があります。適度な緊張感は、物語への集中の深さにつながり決して悪いものではないので、緊張感自体に問題があるわけではありません。緊張感を味方につけて語っていけたらと思います。