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伝わり方と語り手の成長

 私たちが取り組んでいるストーリーテリングは語り手と聞き手がいて成立するものです。聞き手に聞いてもらってはじめて完成するので活動は目に見える形では残りません。語りは1人でするものなので自分が成長したという自覚が持ちにくく、語り手はモチベーションを保つのが難しいと感じています。

 人に聞いてもらって完成という点では音楽が思い浮かびますが、音楽は本番に向けて曲の完成度を高めるための練習が必要です。自分の作りたい音楽が再現できるよう技術を磨き表現力を高めという自分と向き合う時間があるため自分で成長を感じやすいのではないかと思います。けれど読み聞かせやストーリーテリングは音楽のように技術を高めるような個人的な訓練が必要なものではないと考えています。アナウンサーの訓練のように滑舌や発声、正確なアクセントなどの修練が物語の伝わりやすさに直結する訳ではありませんし、お笑い芸人のように間の取り方や喋り方で物語を生かす訳でもありません。そのため練習することで自分の成長を感じていくことができないと感じています。

 また語れる話の数が語り手の成長の証にならないところも達成感や成長を感じにくい理由だと思います。そういう意味では読書に似ているとも思います。読書も読んだ冊数が読書する者としての成長の証ではありませんし、この本が読めるようになったから成長したというものでもなく成長が実感しにくいものだからです。

 けれど語り手の成長は自分だけでは実感しにくいだけで、聞いてもらうことで成長を感じることができると感じています。語り慣れてくると伝わったかどうかを感じることができるからです。聞き手の状態はいつも同じではないので、比較が難しいと思われるかもしれませんが、語り終わった直後に「ああ伝わったなぁ」と実感することがあります。聞き方はどうだっただろうと考える前にまずぱっと感じるこの感覚が物語を物語として渡せた証なのだと考えています。伝えようと足掻くというより基本に忠実にただ語っていたらこの感覚が降ってくることがあります。これを体験すると見えてくるものがあると思います。そして物語を受け取った人に感想を聞いてみることも語り手自身が成長を知る手がかりです。どう伝わったかを言葉にできる人ばかりではないので聞き手を選びますが、聞いてもらって言葉にしてもらうことが自分の成長を感じる機会だと思います。