確かめてみたら

 『子どもに聞かせる世界の民話』と『こども世界の民話』をようやく比較しました。句読点の位置は変わっておらず同じ表記でした。『子どもに聞かせる世界の民話』から何話か選び子どもが自分で読めるように文字を大きくし挿絵も多く入れたという本が『子ども世界の民話』ですから、元の表記と変わらなくとも不思議はありません。けれど黙読するには句読点が多く読みにくいので句読点の位置を変えているのではないかとちょっと期待してしまいました。 

 この句読点に限らず文章は表記で印象が変わるものだと感じています。特に顕著だと感じているのは詩です。典型的な例としてあげられるのは『ことばあそびうた』谷川俊太郎/詩 瀬川康男/画 福音館書店 です。この詩の本は、すべてひらがなで表記され句読点がなく連ごとに一つの塊のような形で書かれています。そのため一読して意味を取るのが難しくどこが単語の区切りなのか探りながらでないと読めません。わざと意味が直感的に取れないような書き方と言ってもいいかと思います。

 例えばこの本のひとつめの詩「ののはな」ですが、漢字で「野の花」と書かないところがこの詩のおもしろいところであり、作者の意図が現れているのだと感じています。たった4行の詩で文字まで凝った作りなので、ぜひ実物を見て欲しいと思いますが、1行目文章の表記を書き写してみます。原文は「はなののののはな 」です。まるで呪文のような不思議な配列です。これを普通の表記にすると「花の野、野の花」となります。このように印象がかなり変わります。黙読するには断然漢字や句読点があった方がわかりやすく読みやすいと感じます。けれど詩として音読するなら意味だけが重要ではないのでひらがなだけの表記だと楽しみ方が広がります。

 こうやって比べると句読点や漢字は、読み手が意味を正確に捉えるためのものだと思えます。黙読に慣れていると句読点が多すぎるのは邪魔な感じがしますが、読み始めの子どもたちにとっては句読点があることで単語や文節などがくっきりしてわかりやすいのかもしれないと思います。読み始めの子どもたちにとって字の大きさだけでなく、句読点も重要なのかもしれないと感じました、そしてストーリーテリングのテキストの句読点の多さも一つ一つきっちり確認してイメージを固めるためのもので、読み始めの子どもたちのわかりやすさはイメージを固めることと関連があるのではないかと思いました。