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息が合う

 ストーリーテリングや読み聞かせには必ず聞き手がいます。けれど文章を書く時には、渡す相手を直接感じることがありません。相手の顔が見えない状態で発信することは、私にとって思いの外ハードルの高いことだと書いてみて感じています。ブログという形でインターネット上で公開しているので、誰が読んでくれているのかわからないと考えるとどう書いたらいいのか迷います。けれど読んでくれている相手の顔が見えていれば、相手に合わせて伝えたいことを伝わるように工夫する余地が生まれ、書きやすいと思えます。相手がいた方が伝えたいことが伝わると思うのは、私が語り手として活動してきたためかなと思っています。

 この相手がいた方がいいと感じる感覚は、語り手として実はとても重要だと考えています。言い間違えも言葉が詰まることもなく伝えることが重要なら録音の方に優位性があります。けれど直接語る時にはその場にいる聞き手に合わせたものになると感じています。合わせようとして意図的に何かを変えるのではなく、渡していくうちに聞き手と噛み合う感じになるのです。言葉を足す訳ではありませんし、声の調子を変える訳でもありません。絵本なら絵に任せて物語を伝えることに集中しますし、ストーリーテリングなら固めたイメージに集中するだけです。けれど聞き手を感じることで無意識のうちに微妙に変化するのだと考えています。言い方を変えると「息を合わせる」といった感じでしょうか。伝える側と受け取る側の境界を越えて語り手も聞き手も物語に浸っているうちに息が合うのです。これが私たちが子どもたちに対面で語りたい理由でもあります。語り手と聞き手がお互いの気配を感じ合い、一緒に聞いている聞き手同士も気配を感じ合わないと息があった状態にはなりません。集団になった子どもに語る醍醐味はここにあると感じています。