語り手として

 物語を伝える者として、物語のおもしろさを知っていることが大事だと考えています。おもしろさを知っているというのは楽しんで語っているというのとは少し違い、楽しんでいる姿を見せることではないと思います。加えて楽しませようとするのとも違うと感じています。相手に合わせて楽しめるような要素を加える訳ではないからです。物語は物語であるだけでおもしろいのだと考えています。私たち語り手は物語を映し出す鏡のようなものだと思います。何かを足したり引いたりせず物語をそのまま映すのですが、どう映るかは語り手の想像力によって違いが生まれるのだと思います。言葉からイメージするには想像力が必要です。その想像力は人によって違うのでおなじ場面をイメージしても全員がおなじものをイメージしているとは限りません。そして語り手が磨かなければならないのは映し続ける力です。イメージしたものを安定した形で留める力といってもいいかもしれません。いつも使っているイメージを固めるというのはこの留める力です。語る時はイメージから言葉へそしてそれらが集まって場面へと渡していくのでイメージが揺らいでいては言葉になりません。

 こうしてイメージから言葉を紡ぎ出すのでストーリーテリングが聞く読書になるのだと思います。そして聞き手はイメージとセットで物語を受け取ります。言葉から自分のイメージを自在に繰り出せるおとなは語り手のイメージと自分のイメージの違いを楽しみますし、イメージを作ることがまだ十分身についていない子どもは言葉からイメージを作れなくともイメージごと渡されるので物語を追うことができ物語を楽しめます。そして物語を楽しむことが言葉からイメージを作る経験になるので読書の入り口になるのだと思います。

 自分で読むなら言葉からイメージを作ることで物語に入れますが、語る時はイメージと言葉をセットにすることで聞き手を物語の世界へ誘うことができます。私たちのような現代の語り手はテキストから物語を自分のものにするため活字からイメージを作ります。そのためうっかりすると語る時にも言葉から渡す気になりがちですがイメージとセットで渡すことが重要です。そのためにはイメージが揺らがないことが大事なのだと思います。