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比べるのではなく

 集団への読み聞かせをしようとする人は、親子で読み聞かせを楽しんだ経験のある人が多いと感じています。我が子と過ごした絵本タイムによって読み聞かせを良いものだと思えるような充実した時間を過ごせたのだと想像します。実際我が子が絵本に集中したり目を輝かせる様は親に強い印象をもたらし読む意欲を生みます。けれど親子で楽しんだ思いは、集団への読み聞かせをする際に違和感となって読み手に降りかかることがあります。特に我が子が好きだった絵本を読んだ時、聞き手が自分の記憶の中の子どもとおなじように聞かないことは読み手にとってストレスになるのは想像に難くありません。そんな場面では聞き手に問題があると考えがちです。読んでいる絵本の魅力もその絵本を存分に楽しんだ子どもの存在も知っているのですから原因を聞き手に持っていくのは自然なことかもしれません。

 しかし集団への読み聞かせをするものとして、これは避けたい考え方です。集団への読み聞かせでは、聞き手である子どもたちとは絵本でしか繋がれません。その子の好きな物も好きなことも知りません。読み聞かせの直前に何があったのかも知らず、どんな精神状態で読み聞かせの時間を迎えているのかも知りません。親子とは絶対的な情報量が違います。集団ですから一人ではなくその場にいる全員がそれぞれの違う思いを抱えて一緒に聞くので聞き方を親子の場合と比べられないと考えています。そしてそれは集団同士を比べることにも言えると考えています。特に保育園などの同年齢で集団になっている場合は安易に同年齢同士の集団を比べがちです。子どもの育ちと関わっていると年齢だけでは一概に言えないことがたくさんあることを私たちは知っています。年齢と発達段階は必ずしも一致しませんし集団を形成するメンバーで集団の雰囲気は変わります。ですから集団を比べることは無意味だと感じています。

 私たちがすべきことは、物語の力を信じて基本に忠実に物語を伝えることに集中することです。読み手の集中力は子どもたちを物語へ誘います。読み手として問題なく読めていると感じていてもうまく渡せなかったと感じる時もあります。そんな時は読んだ絵本が聞き手にあっていたのかを考えてみてください。集団に対してぴったりな絵本をぴったりな時に渡すことは様々な制約があってとても難しいことですが、それでもそれを実現することが私たちの目標の一つであることには変わりないと考えています。