語り手と物語

 私がストーリーテリングをしているのは小学校がメインなので夏場は戻せる状態のおはなしがありません。小学校が夏休みだからです。この空っぽの時間は私にとって結構大事な時間です。ストーリーテリングの経験が浅い頃は、物語を自分の中に留めておくことに必死で、忘れないように折に触れて思い出したりしながらちょっとしたおさらいをして自分を安心させていました。聞き手の前で言葉が出てこないことは、語り手にとって怖いことだからです。けれどこれは語り手にとってはあまりいい状況ではないと今は考えています。忘れないようにおさらいすることはせっかくイメージと結びつけた言葉を言葉だけで頭に刻み込むことになるような気がします。忘れていないか確かめる時は、あれここ「そして」だっけ「それから」だっけというような部分的な確認になりがちだからです。確かにテキストの言葉は考え抜かれていて「そして」を「それから」と言い間違っただけで先が続かないということはあります。細部まで正確に再現するのはそのためですが、大事なのはイメージと結びついていることです。そしての先にあるイメージとセットであることが必要です。多分ストーリーテリングにはちょっとしたおさらいは馴染まないのだと思います。片手間に物語を覗くのではなく語り手がしっかり物語に入ることでしか物語をイメージで再現できないのがストーリーテリングの特徴なのだと思います。

 そして言葉で留めようとしないことは物語の新鮮さを保つと感じています。語るたびに毎回改めてイメージと向き合って言葉を紡ぐことが口承で伝わってきたものが古びずに飽きられずに何度聞いてもおもしろいものとして生き残ってきた理由ではないかと感じています。そして経験を積んでくると言葉にしがみつかなくても、イメージが固まっていると言葉が出てくることに気がつくようになります。出だしだけ間違わなければ語れるという諸先輩方の言葉の意味はこの感じなのかもしれないとようやく体感できるような気がしています。