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声の問題

 ストーリーテリングや読み聞かせは、語られる物語を聞く体験が聞き手だけでなく語り手を育てます。語り手は語られる物語を受け取る事でどう伝わるのかを実感し、声で伝える事がどういう事なのかが理屈抜きで理解できると感じています。ただその時物語を受け取るという一点に集中していないと理解には至らないと考えています。

 語り手は声も雰囲気も違います。そして声や雰囲気は出会った相手の判断材料となるものです。そのため物語以前に声や雰囲気に注意を持っていかれてしまう事がままあります。聞くという行為の中には好ましいと感じる声や話し方という理屈抜きで惹かれるものがあるからです。この人間の本能ともいえる部分がうまく発揮されているのが親子の読み聞かせだと思います。生まれる前からお腹の中で聞いているお母さんの声は何ものにも代えがたい心地よさを子どもにもたらすからです。

 けれど語り手として物語を聞く時は、好ましい声というフィルターは必要ありません。物語の伝わり方を声や雰囲気に求めると本質からずれていくと感じています。語り手の数だけ声があり雰囲気があります。そしてこの声でなければ伝わらないということはないと考えています。そしてどれほど羨ましくても同じ声は出せませんし、真似をする必要もないと思います。自分の持っているものを信じて語る事が大事だと感じています。物語が主役なので語る際に自己表現やオリジナリティは必要ありませんが、声を使う以上意図せずとも違いは出ます。ストーリーテリングや読み聞かせは生き物だと感じています。どれほどテキストに忠実に語っても録音のような再現性がないところも魅力なのです。これはたくさん聞く事で実感できると感じています。語り手は物語を受け取ることに慣れて欲しいと思います。