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大丈夫と思える

 私は結構楽観的だといわれます。お気楽とか能天気、苦労知らずといった否定的なニュアンスで言われることもあります。この感覚は年齢を重ねても児童文学を卒業せずに児童文学に留まり続けたための気質だと思います。

 児童文学は基本的に厭世的な結末で語られません。安易なハッピーエンドという意味ではなく絶望の中にも希望を見出す傾向があります。また私の育った時代は読み応えのある海外の作品がどんどん翻訳されるようになったため児童文学に留まることに無理がなかったのも幸運なことでした。そして出会った作品はトールキンやル・グウィンなど児童文学という範疇には収まりきらないものも多かったと思います。

 またそれらの児童文学に支えられてというだけでなく、もうひとつ私の楽観的な気質を育んだ要素にグリムの昔話があります。ちょうど中学生という思春期の真っ只中で読み耽ったために特に影響があったのだと振り返って思います。「くよくよしたってはじまらない」とか「なんとかなるさ」という感覚は昔話の影響が大きいと思います。「なんとかなるさ」とか「なるようにしかならない」というと自暴自棄な印象に取られがちですが、昔話に親しんでいるとこれは決して投げやりな感覚ではないと思います。運命にどう翻弄されても生きていくという強い意志だと思うのです。たとえ楽観的と言われようとも大丈夫と思えることは困難の中でも力を発揮すると感じています。そして大丈夫だと自分で思うことが困難を切り開いていくことを児童文学や昔話が教えてくれたと思っています。