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解釈と感情の狭間

 福音館書店『たくさんのふしぎ』編集長の石田栄吾さんが「物語+編集」について語るロングインタビュー記事を読みました。石田さんご本人の魅力と共に子どもの本についての考え方がよく伝わる興味深い記事でした。

 石田さんの子どもの本に対する思いに賛同し編集方針も納得のものでしたが、頭の中でアラームが鳴るというか引っかかるものがありました。例えば子どもの本の特徴として、物語絵本のタイトルには「かっこよくない形容詞」がつけられていることがたくさんあるのですが、子どもは主人公に「かっこよくない形容詞」がつくことで自分自身のことが描かれていると捉える傾向にあるために使われるのだと説明されています。子どもは、一方では完全なヒーローに憧れますが、他方で自分自身を眺めてみると、やりたいと思うことの半分もできないような、まったく不完全な存在です。そんな中でだんだん成長していく過程において絵本のなかのかっこよくない主人公が不完全な自分に寄り添ってくれるように感じるのだというのです。この考え方に共感しつつ、こういった解釈は読み手であり語り手である私たちには危険な考え方だなあと思いました。

 物語から離れて分析し解釈していくことは、観念的になり物語の良さを殺してしまうことが間々あります。私たちは子どもたちに物語を届け物語の中に入って留まる楽しさを感じて欲しいと考えています。語り手の中になぜ子どもたちがこのような話を好むのかといった解釈が混じり込むと聞き手によっては違和感が生まれ居心地が悪くなります。集団で楽しむ時に物語の懐の深さを狭めることは得策ではないと考えています。

 同様に感じるままに読むというのも聞き手が物語を受け取る際の違和感を生むことがあります。感じ方は個人のもので個人差があるからです。集団に対して読み手が感情のままに読むことは聞き手が物語の中に留まることを邪魔する場合があることを私たちは知っている必要があります。読み手としての私たちは解釈でもなく感情でもないところに立っていると感じています。理由は説明できないけれど、この方がいいという職人的な感覚が私たちの最終的なゴールかもしれないと思います。