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感覚を鍛える

 自分の感覚を鍛えるのは結構難しいのだと感じています。人間は考える生き物なので知識が干渉してくるからです。体感で感じる気温と実際の気温に差が出ることや、自分の身体の調子などは顕著な症状がある時以外は多少の不具合をどう判断するかは個人差が出るものです。また感覚はそれをどう伝え合うのかでも変わってきます。自分の感じていることをどの程度どうやって相手に伝えるかのさじ加減は人によって違うからです。一般的に子どもは喜怒哀楽をそのまま出すと思われていますが、これも個人差があると子どもたちと付き合ってきて思います。やりとりすることは感じ合うことで、伝える側と受け取る側の感度を合わせていくことでもあると思います。どんな場合でも一方的な思い込みはうまく伝わらない原因になります。

 そして私たちのようにストーリーテリングや読み聞かせだけで子どもたちと関わっている場合、「ゆっくりはっきり話す」とか「心持ち大袈裟に表現する」といった子どもに伝わる方法としてよく言われるようなことを鵜呑みにしない方がいいと考えています。このゆっくりはっきり話すなどは子どもと関わったことのない新米お母さんに向けた言葉なのだと思います。生まれて初めて子どもと生活する時の心構えと言ったらいいでしょうか。おとなとしか付き合ったことのないまま子育てに取り組むことが多いので必要になってきたアドバイスとも言えるのです。子どもと付き合ったことのある人が取り入れようとすると聞いていてお尻がムズムズするような喋り方になりかねません。

 こうやって一つ一つ整理していかなければならないほどお助け情報が溢れている今、必要なのは感覚を鍛えることなのだと思います。理屈ではなくて感じることが判断を助ける部分があります。どう伝わったのかを感じていくことの積み重ねが私たちにとっての感覚を鍛えることです。この感覚を鍛えることは手間も時間もかかることですが、たとえ進度は遅くても情報に振り回されるより確実に自分の目指す方向に前進できる気がします。