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意外と

 私たちの生活は同じことを繰り返す部分があって、それにうんざりすることもあります。例えば食事の支度などは苦もなく楽しんでやっている時と面倒だと思っている時とあります。けれどコロナ対応で自分の意思とは関係なく予定が突然変わったりすると途端に不安な思いになりバランスが崩れる感じがします。時に面倒だと感じているようで計画に沿って変わることなく予定をこなすことは意外と生活の拠り所になっているのだと感じます。「またやらなくちゃ」とか「またか」という感覚は実は安心でもあるのだと思います。とはいっても面倒だなぁと思っていることの方が多いのですが、滞りなく同じことが繰り返せるのは平穏な日常が営めていてこそなのだと気付かされるようなwithコロナな毎日です。

 こんな日常が続くと、おはなしの会をしていてタイトルを言った途端子どもたちに「知ってる」とか「またぁ」と言われるのは、安心を届ける部分もあるのかもしれないと思ったりしています。自分の読書を振り返ると繰り返し読みたくなる本は、初めて読む本と少し楽しみ方が変わるような気もします。私の感覚だと、物語の展開を知るために読んでいるのではなく、展開を知っていても主人公と共に主人公の時間を過ごす楽しさを味わっている感じです。そんな時は主人公と一体になり自分がない状態のことも、自分を消さずに設定にはない主人公と共にあるものとして物語の中を一緒に生きることもあります。ただ第三者として主人公の行動を批判的にジャッジしたくなるような物語は何度も読みたくならないと思います。物語の中で良いことも悪いことも様々起こりますが、失敗ではなく主人公に必要不可欠な出来事として捉えられる物語に共感している気がします。

 そして読み聞かせやストーリーテリングで自分の好きな物語を取り組むようにと言われるのはこの部分を説明しているのだと思います。その物語を面白いと思ったかではなく、何度も読みたくなるか、批判的な気分にならないかに注目するための言葉だったのだと気がつきました。自分で読書することも物語を渡すことも、自分と物語という関係性の上では同じことが問われているのだと思います。