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同じ空間を共有する

 コロナ対応で、透明なパーテーションをよく目にするようになりました。最初はスーパーのレジや受付などの対面でやりとりしなければ成り立たない場所での苦肉の策といった印象でしたが、最近は思いもかけないところにパーテーションがあって驚くことがあります。特に驚いたのは、オーケストラの舞台にパーテーションが立てられていたことと、ミュージカルの制作発表の場で出演者が一人一人パーテーションで仕切られた中で歌い踊っていたことです。コロナが問題になり始めた頃は中止一択だった活動が、関係者の努力で感染防止に努めながら活動できるようになったという現れなのだと思いつつ、私たちが置かれている現状の厳しさを改めて感じました。

 感染を最小限に抑えるためにまず問題にされたのが飲食で、生活を共にしている人以外との飲食を避けるようになりました。「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、飲食を共にすることが信頼を築く方法として生活に溶け込んでいるのに、一緒に食事をすることが叶わないというのは、ある意味人との繋がりを分断される思いになります。その上パーテーションが様々なところに応用されている様は、今度は同じ空間で過ごすことを否定されている感じがします。同じ釜の飯どころか同じ空気を吸うことにまで警戒しなければならないことは、人間性という点でとても厳しい選択を迫られていると感じています。

 私たちの活動は子どもたちと共にあります。子どもたちが育つ過程では人間という存在への信頼感が欠かせないと考えています。子どもは家庭という小さい社会から徐々に過ごす社会を広げて育っていきます。私たちの活動は子どもたちが親以外のおとなと関わり社会を感じる場でもあると考えています。ですから同じ空間で過ごすことはとても大事でたとえ透明でも仕切りがあると分断される感じがするので仕切りがない状態が望ましいと思っています。パーテーションがなければ安心できないという感覚が子どもたちに浸透することは子どもたちの未来に影を落とす気がします。ウィルスから身を守ることが現在の最重要課題であることは理解していますが、同時に子どもたちの育つ過程を今まで以上に意識していくことを求められていると感じています。