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制限されると

 コロナ禍で新しい生活様式となり日常が変化しました。当たり前にやっていたことができないという毎日に慣れてはきましたが、先が見えない分我慢の限界を感じる時があります。この制限がある生活を余儀なくされている中で人間の行動には習性というか癖があるのだと感じることがあります。

 例えば「つるの恩返し」や「見るなの蔵」のような昔話にもよく出てくるパターンですが、決してやってはいけないということをやってしまうのは習性なのではないかと感じています。もしかしたら制限をかけられなければやらなかったかもしれない、やりたいという渇望を持たなかったかもしれないことがあると思います。いけないとわかっていてもやってしまうというのは、自分を制御することに慣れていない子ども時代に起こるものでおとなになるにつれて克服できるような気がしていました。けれどそうでもないことに制限の多い暮らしになって思います。

 自分で決めたこと以外、強制力に対して反発してしまうことは人間の本質に深く関わっていることなのかもしれないと思います。もちろん好き勝手にやっていいと思っている訳ではなく、社会の一員として群れで暮らす以上、守らなければならないことや、やりたくなくてもやらなければならないことはあります。それでも周囲から制限や強制されて行動を変えるのではなく自分で考え納得してどう行動するか決めることこそが大事なのだと思います。即効性を求めて守らない人を罰しても抜本的な解決につながらないと感じています。

 ですから子どもと関わっている私たちは強制的にルールを守らせようとして、答えを押し付けないようにしたいと考えています。子どもでもおとなでも同じような感情が潜んでいることを忘れないようにしたいと考えています。反発という形で行動に現れていなくとも、制限されたという感覚はルールの本質を捉えて自分のものにすることを阻害すると今の状況になって自覚しました。子どもたちと共に物語を楽しんでいくには、聞きやすさを子どもたち自身が求めて行動できるような関わりを意識していくことが大事なのだと思います。