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エッセンシャルワーカー

 県は新型コロナウイルスの感染「第5波」が収まらない状況を受け、9月3~12日を「命と暮らしを救う集中対策期間」と位置付け、公共施設の休止やイベントの中止・延期の要請強化の対策を取りました。そのため上田市の公共施設である図書館も先月に引き続き利用が制限されることとなりました。先月はお盆期間中で上田図書館での「おはなしと本の会」は元々計画されていませんでしたが、9月11日の「おはなしと本の会」は中止となります。8月は第4土曜日に組んでいる創造館図書室の方が中止になりましたので都合一回ずつの中止となりました。この9月3日からの対策期間が功を奏して9月中旬以降、感染者数に怯えずに済む暮らしができることを願って、自分ができることをしていきたいと思います。自粛も長期にわたり、これ以上何をという気持ちになったりしますがここが辛抱のしどころだと思いたいです。

 ただコロナ対応を考えることは、社会を構成する人たちがどう社会を形作っているのかが浮き彫りになり、何気なく暮らしている自分たちの社会を意識するようになりました。例えば私自身は今まで意識していなかった職業の区分としてエッセンシャルワーカーがあります。ソーシャルディスタンスが重視されテレワークが推奨される中で医療従事者のように直接私たちの生活を支えている労働者が注目されるようになりました。健康と命を担う医療・福祉従事者、スーパーなどの小売業界に身を置く店員、物流に関する郵便や宅配の配達員やトラック運転手、ライフラインを支える電気ガス水道そしてゴミ収集に関わる従事者など、私たちの生活を支えるために必要不可欠の職種の人たちがエッセンシャルワーカーにあたるとされています。そしてエッセンシャルワーカーに感謝しようという風潮が生まれてきたように思います。けれどその割にエッセンシャルワーカーが尊重されている感じがしません。例えばこのエッセンシャルワーカーの中でワクチン接種を優先的に受けられたのは医療従事者だけで、他のエッセンシャルワーカーは優先されませんでした。個々の感謝の気持ちではなく社会の仕組みとしてエッセンシャルワーカーを守らなければ社会として未成熟だと感じます。

 コロナ禍が一過性のものとしてその場しのぎの対策では超えられないことが徐々にわかってきた今、社会を考えることで見えてくるものがあるのかもしれないと思うようになりました。コロナ禍になってから不公平だと感じることが次々起こり、それが拡散して不安が煽られている感じがします。けれど見ようとしなかっただけで、不公平感を生じさせている原因は今までも存在していたのだと思います。社会がある以上歪みはどうしても生まれます。自分ができることは微々たるものでも、考えていくことから始めないと何も変わらないと感じています。