おいしいおかゆ

 グリムの昔話の「おいしいおかゆ」はストーリーテリングをする私たちにとってとてもなじみ深いものです。初心者にもイメージを固めることがたやすい内容で、物語として満足度があるのに短いというおはなし なので、レパートリーにしている語り手が多いからです。

 先日、この「おいしいおかゆ」を久しぶりに2年生と3年生に語りました。ストーリーテリングを聞き慣れていない小学生にどのおはなしを語るのかを選ぶのは簡単ではありません。聞き慣れないからといって、幼すぎる内容だと物語の展開についていくことができても満足する形にならないですし、内容重視にしすぎると集中が続かずに物語の展開についていけないことがあるからです。「おいしいおかゆ」は基本未就学の子どもと小学校低学年の聞き慣れない子どもたちに語ってきました。けれど今回聞き慣れていない2年生と聞き慣れている3年生に語ってみて、グリムの昔話の底力を感じました。2年生に語った時も子どもたちがきちんと物語の展開に沿ってイメージを受け取り十分楽しんでいると感じましたが、3年生の楽しみ方が2年生とは違ったのです。2年生はおかゆが溢れる様を驚きを持って受け取り、最後の「けれどこの町に帰ってくる人は自分の通る道をぱくぱく食べて食べ抜けなければなりませんでしたとさ」にも「へぇ」といった感じで驚いていました。一方3年生はおかゆが溢れる様も食べ抜けるという状況も驚くというよりおかしみを持って受け止めている感じでした。町が陥った状況を楽しんでいるのです。そして最後のフレーズなどはそれはおかしそうに聞いてくれました。ちなみに今回語った2年生も3年生も「おいしいおかゆ」を私から聞くのは初めてでした。3年生が以前に聞いたことがあるから楽しみ方が変わったという訳ではありません。

 今回偶然2年生と3年生で違いが出ましたが、この変化は成長と共に物語の楽しみ方が変わる一つの例なのだと思います。そう考えて思い返すと「おいしいおかゆ」は未就学の子どもたちに語るとより驚きと共に受け止められておかゆが溢れるにつれて目がまん丸くなる感じの聞き方をします。そして年齢が低ければ低いほど、最後のフレーズできょとんとされることが多いのです。「へぇ」すら抱かないで「どうして?」といった感じになることがあります。このそれがどうしたという反応は最後のオチが年齢の低い子どもたちにはピンとこないからでしょう。それでもおかゆの溢れる様は十分楽しめるので、年齢の低い聞き始めの子どもたちに語ってきました。そのため年齢の低い子のものと思いすぎていたようです。物語で起こっていることを面白がれる聞き方は「おいしいおかゆ」の受け取り方の完成形だと感じました。幅広い子どもたちが楽しめる「おいしいおかゆ」はストーリーテリングをするものにとって得難いレパートリーなのかもしれません。そして聞き手に教えられることは多いと改めて感じました。