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端折る!?

 8月に長雨ってなんだろうと思っていたら案の定9月のはじめというのに秋真っ只中といった感じになり申し訳程度に入道雲風の空模様ですが体感的には今日は10月だといわれても納得できそうです。こんなふうに時間がスキップした感じというか端折った感じは居心地が悪いと思いながら、今の子どもたちの育ちを思い出しました。

 ここ数十年子どもたちを早くおとなにしようとする傾向が強まっていると感じています。子育てをしている側に明確な自覚があるかどうかはわかりませんが、とにかく先手を打ちたがり先回りして教えることが教育だと感じているおとなが増えていると思います。そして転ばぬ先の杖ならぬ先取りして教えることは、実は本来ならその時期に必要なことを端折ることなのだと思います。今や小学校入学前に文字を教えることは当たり前になり、プールの授業に対応するために早くからスイミングスクールに通い、英語が小学校で導入されると聞けば英語を学ばせ、プログラミングの授業に備えてプログラミングを教える塾が出現します。学ぶこと自体は子どもたちにとって不利益も生じさせないためこういった先取りが問題視されることは少ないと思います。けれど先取りしたことで失ったものはあります。それは子どもの遊ぶ時間だと思います。以前は子どもの仕事は遊ぶことと言われていました。目的なしに遊ぶことが人としての根っこを育てるのだと思います。

 それを体感できる本に『遊んで、遊んで、遊びました―リンドグレーンからの贈りもの 』シャステーン・ユンググレーン/著 ラトルズ があります。この本は著者のユンググレーンが当時84歳のリンドグレーンにインタビューした内容がまとめられています。リンドグレーンは子どもたちに愛される作品が書けたのは「自分が幸せな子ども時代を送れたからだ」と何度も言っていますが『遊んで、遊んで、遊びました』には、その幸せな子ども時代について具体的に書かれています。そしてこの本の表紙はおばあちゃんと言っていい年齢になったリンドグレーンが楽しそうに木登りをしている写真が使われているのが象徴的です。リンドグレーンの生涯を辿ると決して平坦な道ではなかったと思います。けれどリンドグレーンの人生は幸せな子ども時代がその先の人生を支えていると感じます。物語を楽しむことも遊びの一つだと私たちも忘れない様にしたいと思います。